「生きる」ことと日本国憲法
東日本大震災後の日本を考える
2011/5/14
九条の会・はつかいち
二見 伸吾
●はじめに
 
 「一番大切なことは単に生きることそのことではなくて、善く生きることである」ソクラテス「クリトン」
 
 「人間はなによりもまず食い、飲み、住み、着物をきなければならない」
エンゲルス「マルクスの葬送にあたって」
 
1.震災後に日本国憲法を読み直す
 
 困ったとき、困難に陥ったときこそ原点に立ち返って考える
 
●平和に生きる権利(前文)
 
 「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」
 
 恐怖には震災の恐怖、欠乏には震災による欠乏が含まれるのではないか
 
●個人の尊厳と幸福追求権(13条)
 
 「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」
 
●人間らしく生きる権利(25条)
 
 「@すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
 A国はすべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない
 
 
 13条と25条が、震災復興と震災に強い日本への転換の原理・原則とならないといけないのではないか。
 
2.阪神・淡路大震災(1995.1.17)から東日本大震災へ(2011.3.11)
 
●本当に「未曾有」なのか
 
 みぞう 未だ嘗てなかった珍しいこと(広辞苑)
 
 地震・津波 数々の被災の歴史がある
 
 原発事故 日本でもたびたび起こってきたし、スリーマイル、チェルノブイリの事故もあった。
 
●阪神大震災の経験と教訓
 
 「被災者にとって将来が見えない。展望が持てない」
 
 被災者支援に冷淡だった政府とその論法
 
 「国の救助の基準は次官通達(厚生省告示第144号)で決まっており、それが限界」「災害救助は生存のための応急措置だけでその後の生活は関知できない」「公費で個人資産を補うことはできない」
 
 @政府には震災についての責任はない。
 A人的被害=死亡等については「弔慰金」が支給されるが、住居の減失等の物的被害にはこのようなシステムは予定されていない。
 B物的被害は財産的被害であり、財産的被害には「責任がない限り補償なし」というのが「わが国の原則」である。
 
 支えた御用経済学者  私有財産への支給あり得ぬ……経済学者・野口悠紀雄氏
 「持ち家は個人の資産そのもの。私有財産制を認める限り、個人の財産である住宅に国が直接的な現金支給をすることはあり得ない。家を持つことはリスクを伴うが、それによる利益も個人に帰属しており、マイナス面だけ国に面倒を見てくれというわけにはいかない。もし、住宅に公共性を認めるのなら、被災者やホームレスの人たちに、自宅の一部を使わせる義務も認めるべきだ。それが公共性というものだ。しかし、個人の住宅にそのような義務を認めることを、到底、一般の人々が望んでいるとは思えない。個人が持ち家のリスクをすベて負わなければならないのは合理的とは言えない。こうなるのは、日本で借地借家法の制約によって、借家の供給が限定されていることによる面が大きい。非常時への備えは非常に重要な課題だ。リスク軽減の方法として、規模の大きな保険や共済制度を作る方法もある。そうした制度に加入しやすくしたり、当面の生活支援をすることなど政府のすべきことはある。それらにもっと知恵をしぼるべきで、経済の原理原則、根幹制度を崩すべきではない」(「読売」01.1.16)
 
 事態を動かした小田実さんらの市民=議員立法運動
 
 できあがった「被災者生活再建支援法」で100万円(現在は300万円)まで支給されるように
 
 法律がないのが問題だったのか?
 
 
●災害救助法を読む
 
 災害救助法は日本国憲法が施行された年の最初の国会で、1947年10月28日制定された。←1946年12月21日「南海地震」(東海から四国まで)M8.1 死者1432人、全壊家屋1万5640戸) 
 
 災害救助法を日本国憲法の精神で読み、理解することが必要
 
 人間らしく生きる権利(25条)の具体的保障としての被災者保護
 
第一条  この法律は、災害に際して、国が地方公共団体、日本赤十字社その他の団体及び国民の協力の下に、応急的に、必要な救助を行い災害にかかつた者の保護と社会の秩序の保全を図ることを目的とする。
 
 応急=短期間ととらえる必要はない。 急を要す事態が続く限り「応急処置」。つづく「必要な」という言葉が大切。
 
第二十二条  都道府県知事は、救助の万全を期するため、常に、必要な計画の樹立、強力な救助組織の確立並びに労務施設設備物資及び資金の整備に努めなければならない。
 
 労務=人
 
第二十三条  救助の種類は、次のとおりとする。
  一  収容施設(応急仮設住宅を含む。)の供与
  二  炊出しその他による食品の給与及び飲料水の供給
  三  被服、寝具その他生活必需品の給与又は貸与
  四  医療及び助産
  五  災害にかかつた者の救出
  六  災害にかかつた住宅の応急修理
  七  生業に必要な資金、器具又は資料の給与又は貸与
  八  学用品の給与
  九  埋葬
  十  前各号に規定するもののほか、政令で定めるもの
 
2  救助は、都道府県知事が必要があると認めた場合においては、前項の規定にかかわらず、救助を要する者(埋葬については埋葬を行う者)に対し、金銭を支給してこれをなすことができる。
 
 災害時、一から十までを私たちは求めることができる。
 
 その程度は厚生省告示144号によって定められている(厚生省が勝手につくった。法律でも何でもない。しかもケチ!
 
(一)避難所の設置のため支出できる費用は、避難所の設置、維持及び管理のための賃金職員等雇上費、消耗器材費、建物の使用謝金、器物の使用謝金、借上費又は購入費、光熱水費並びに仮設便所等の設置費として、百人一日当たり三万円 
 要するに一人一日300円!
 
 仮設住宅 一戸あたり29.9平方メートル 費用は234万2000円以内
 
※ちなみに日本の「思いやり予算」で造られている米軍将校の住宅は234平方メートル 8000万円
 
(二)炊き出しの費用は一日一人1010円以内
 
 飲料水は実費。ただし災害発生から7日以内。
 
(三)被服、寝具その他生活必需品 
 
 被服、寝具、及び身の回り品、日用品、炊事用具および食器などを原則、現物支給
 
生活必需品の給与等のため支出できる費用 (全壊、全焼、流失の場合)
(四)医療および助産
 
  医療は災害発生の日から14日間以内。助産は災害発生以後7日以内
 
(五)災害にかかった者の救出 三日以内
 
(六)災害にかかった住宅の応急処置
 
 日常生活に必要最小限の部分に対し、現物をもっておこなうものとし、その費用は一世帯当たり五〇万円以内。
 
(七)生業に必要な資金の給与および貸与
 
 給与はなくなり(法違反!)貸与のみ記述
 
 しかも、貸与 生業費 一件当たり三万円、就職支度金1万5000円
 
(八)学用品
 
  小学生 4100円、 中学生4400円、高校生4800円
 
(九)埋葬 大人 19万9000円以内 小人 15万9200円以内
 このあまりにひどすぎる「告示」を憲法と災害救助法の精神で改めさせることが求められている。
 
●社会保障としての災害保障
 
 阪神淡路大震災の「経験」をくりかえさない
 
  港、道路、空港、再開発は進んだが、生活再建はされない
 
 住宅を「私有財産」としか見ないことの一面性を乗りこえる
 
 「自助努力」は一定の社会的地盤のうえに成立する
 
  =新自由主義=「構造改革路線」の誤り
 
 自助努力、自己責任、自由契約だけでは社会はなりたたない
 
 これが第二次世界大戦までの最大の歴史的教訓
 「国民の生活の安定があってこそ、企業も利潤追求ができる」
 それを「国民の生活を破壊することによって儲ける」に転換したのが構造改革
 
 「住宅とは、私有財産であると同時に人間のくらしの『場』であり、地域社会は住民の安定した住居の集合として成立している。……住居や事業は地域社会を支える社会的な存在なのである」(自由法曹団「災害への保障は政府の責任」1996年)
 
 社会保障の一環として災害保障をすることが政府に求められる。
 
 百歩譲って、「補償」はできなくても「保障」はできる
 
アメリカ「被災者支援法」 スタッフォード法(the Stafford Act 5121〜5201)
 
 5121条 
(a)議会はつぎのことを宣言する。
(1)災害は、生命を奪い、苦しみを与え、収入を奪い、財産を奪い傷つけます。
(2)災害はしばしば、政府(州など自治体を含む)と地域社会を崩壊させ、情け容赦なく一人ひとりに、そしてそれぞれの家族に襲いかかります。
 だから、特別な諸手段、緊急サービス、被災地域の再建とリハビリが必要なのです
 
(b)この法における議会の意図は、以下のような災害から苦しみと被害を軽減するために連邦政府、州および地方政府がそれぞれの責任を果たし、体系的で継続的な支援を提供することです。
     
(1)災害救済プログラムの範囲を広げ、改正すること。
(2)州と地方政府による、災害への包括的な備えと支援計画、プログラム、能力、および組織の発展を奨励すること。
(3)災害への備えと救済プログラムの対応力と調整力の向上を達成すること
(4)個人、州および地方自治体が自分自身を保護するために保険に加入し、政府による支援を補足したり、置きかえたりすることの奨励
(5)災害からの損失を削減するため、土地利用と建設基準の改善を含む防災対策の奨励
(6)連邦政府は、災害による公的および私的な損失(publicand private losses)の両方を連邦政府の支援プログラムを提供する
 
●実際の震災では
 
 1994年1月17日 ノースリッジ地震の場合
 
 医療・食料・消耗品の供給m仮設住宅の提供、家賃補助、住居補助補修費の支給
 個人の建物補修に最高20万ドル、家財の補填のために最高4万ドルの低利融資
 最高22500ドルの個人・家族援助金
 
 ※義援金は一括して赤十字社が管理して被災者に配分
 ようするに、アメリカがやっていることを日本ができないはずがない。
 
 
3.原爆と原発
 
●日本における原発の原点
 
 アメリカの核政策 いつでもどこの国に対しても自由に使う
 
 その障害となった日本の反核世論 ヒロシマ、ナガサキ、ビキニ
 
 それを封じ込めるために考え出された
 「毒(原発)をもって毒(反核世論)を制す」
 
 安全神話の原点もまたここにある。
 原子力は安全だと思わせることが目的なのだから。
 
 「昭和29年(1954)3月、予算案の審議が大詰めを迎えていた衆議院予算委員会に、自由党、改進党、日本自由党による共同修正案として、わが国初の『原子力予算』を提案しました。この2億3500万円の原子力平和利用予算調査費と1500万円円のウラン資源調査費を成立させたことから、日本の原子力平和利用研究は始まります。
  衆議院の審議で野党委員から「なぜ2億3500万円か」と質問が出たときに、私が「濃縮ウランはウラニウム235だ」と答えて大爆笑を引き起こし、無事、衆議院を通過させたうれしい思い出もあります。
 ……大切なことは、草創の初期に知識も少ない我々政治家が大局的判断から寝食を忘れ、毀誉褒貶を顧みず、原子力政策に身を投じたことであり、いささかなりとも国家に貢献できたと自ら慰めているところであります」。
 
 こうやって自慢した人はだれでしょう?
 
●国策となり、大企業の格好の儲け口となった原発
 
 利権の塊 買収は当たり前  見学旅行、カネ、酒、ウソ…
 
 「原発は民主主義の対極にある」(鎌田慧)
 
 東京電力は自分の供給エリアには一つも原発をつくっていない(福島と新潟)
 
 三菱重工、三菱電機、東芝、日立  原発御三家(四家
 
 大成、大林、清水などゼネコン
 
 政治家への献金、官僚の天下りというおきまりの構造
 
●町はさびれるばかり
 
 原発ができて、町が発展したところなどどこにもない。
 
 補助金で箱モノはできるが、住民生活はよくならない。
 
 麻薬漬けと同じような「補助金づけ」
 
●原発は温水発生装置
  100KWの原発は200KW の余熱を温排水として海へ
 
 日本の全降水量 6500億トン 全河川流量4000億トン 
 原発の出す温排水(7℃水温を上げる)は?
 
●内部被曝の怖ろしさ
 
 外部被爆とは違うメカニズム
 
●原発がなくても電気はまかなえる
 
 @電気の使われ方は季節によって大きく変動 〜夏は春秋の50%増
 A一日のピークは1〜4時
 B東京電力の過去最大電力は6430万KW(2001年7月24日)、この年6000万KWを超えた時間はわずか25日、日数では6日にしか過ぎない。
(東京電力TEPCO Report2003年8月、HPより)
 
 家庭用の電力は全体の34.3%に過ぎない。
 特定規模需要61.6% 〜工場など
 
 浪費社会を考え直すとき
 
 夏はバカンスを  7月〜9月 4週間の連続有給休暇(ヨーロッパでは当たり前)
 
●反核・脱原発へ
 
 日本人の思いを逆手にとった「原子力の平和利用」 
 
 それは、アメリカの核戦略の一環でしかなかった
 
 「安全神話」は崩れ去った。 上関原発をはじめ、新たな原発をつくらせない。
 
 核兵器の廃絶……内部被曝を含めた核被害の理解が鍵を握る
 
 風力、地熱、太陽エネルギー、バイオマスなど再生可能なエネルギー源の可能性
 
◆まとめにかえて
 
 阪神大震災復興の誤りを繰り返さない
 
 「必要悪」という考えを含め、原子力に対する幻想を振り払うとき
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
《参考文献》
 
小出裕章『隠される原子力 核の真実』創史社
鎌田慧『原発列島を行く』集英社新書
小田実『ここで跳べ 対論 現代思想』慶應義塾大学出版会
自由法曹団「災害への保障は政府の責任」96年10月、自由法曹団ホームページ
肥田舜太郎・鎌仲ひとみ『内部被曝の脅威』ちくま新書
 
 
 
 
資料
 「毒をもって毒を制す」 原爆反対と原発
 
二見伸吾(広島県労学協講師)
 
 広島、長崎に原子爆弾が投下され、甚大な被害を受けた日本。放射能の怖ろしさを世界で一番知っているはずなのに、なぜ五四基もの原子力発電所があるのでしょうか。
 この素朴な疑問の答はやはり、アメリカです。
 一九五四年三月一日、アメリカはビキニ環礁で水爆実験をし、第五福竜丸の乗員が被爆。この事件をきっかけにして、全国各地で水爆実験禁止や原子兵器反対の署名運動がひろがりました。そして、五五年に第一回「原水爆禁止世界大会」が開かれ、「日本母親大会」も始まったのです。
 アメリカに対する批判も当然高まりました。日本人の核に対する恐怖、批判(米国務省の当時の報告書は「日本人の過剰な反応」と書いています)をどう抑えこむのか。危機感をもった日米の支配層のたどりついた策が、「原子力の平和利用」でした。
 読売新聞社主、正力松太郎の懐刀であった柴田秀利(日本テレビの重役)は、アメリカ側のエージェント、ワトソンにつぎのように告げます。
 「日本には『毒をもって毒を制する』ということわざがある。原子力は両刃の剣だ。原爆反対を潰すには、原子力の平和利用を大々的にうたいあげ、希望を与えるほかはない」。
 アメリカも「心理戦略計画」を見直す必要を感じ、「日本では新聞を押さえることが重要だ」という結論に達します。五五年一月一日から、読売新聞と日本テレビがタッグを組んで原子力の平和利用キャンペーンを開始。「明日では遅い」「なんの不安もない」「野獣も馴らせば家畜」と書き立てました。読売新聞社はアメリカから「原子力平和利用使節団」を招聘。その講演会を見開き二ページを使って特集し、日本テレビは娯楽番組を取りやめてナマ中継したのです。
 正力松太郎は、のちにアイゼンハワー大統領にあてた手紙で「原子力平和利用使節団の招聘は、日本での原子力に対する世論を変えるターニングポイント(転換点)になり、政府をも動かす結果になりました」と自慢しています。
 このような経過が示しているように、アメリカの核戦略を支えることが原発をつくる最大の目的なのです。「原子力は怖くない」と思わせるために原発はつくられ、稼働してきました。しかし、「事実は頑固」であり、「本質は現象する」のです。今回の福島原発の事故によって、原子力発電がけっして安全でないことを明らかにし、恐怖を与え続けています。 原発を推進してきた歴代政府、電力会社とともに読売新聞と日本テレビの罪は重い。
 そして、かれらを背後で操っているアメリカも。
 
(参考)NHK現代史スクープドキュメント「原発導入のシナリオ 冷戦下の対日原子力政策」1994年3月28日放送 インターネット上で観ることができます。