ゼロの使い魔 ハルケギニア南船北竜
挿話その十五「逆撃」




「このフネにはハルケギニアでも屈指の名艦長と、トリステイン史上最強の騎士……の弟子が乗っております。
 空賊なんかに、好きにはさせません」

 自信ありげに微笑んだリシャールが後にした貴賓室では、微妙な空気が流れていた。
 普段の彼は、あのように自分を持ち上げる物言いを絶対にしない。それが珍しくも自信たっぷりに大言を吐き、自賛した。何でもない状況であれば、それは笑い話で済んだはずだった。
 気付いていなかったのは、それによってほっと一つ息をついたアンリエッタと、父親が出ていった扉を向いて何やらあーあーと笑っているマリーぐらいだろうか。もっとも、アンリエッタの顔はまだ少し青かった。
 メイドや従者達までもが顔を見合わせていた。彼らは人の心の機微……いや、仕える主人の気分には敏感である。
 カトレアは室内の重い空気を払うように、ふうと大きく息をはいて微笑んだ。抱いているマリーに指を握らせる。
 内心の不安は消せないが、彼女の中の母親の部分がそれを隠し通していた。
 もっともカトレアが落ち着いて見えるのは、母カリーヌによる教えの賜物でもあった。病弱でも諸侯の夫人としての心構えについて話を聞くことは可能だったし、嫁ぐと決まってからは母も本腰を入れたようで、その中には戦についてのものや、領主不在時に振る舞うべき態度なども含まれている。
 本音では、どれほど危険でもリシャールとともにありたい。
 母ならば迷うことなく父と共に戦場に赴き、足を引っ張るどころか勝利を自らの手で引っ張ってくることだろう。戦場に於いては『夫よりもあらゆる意味で強い』自分の母親が、少々羨ましい。単に魔法を放つと云うことならば、過去、病弱ではあっても教師陣に天賦の才と賞賛されたカトレアだが、戦の心得などないに等しかった。
 それにマリーやアンリエッタのこともある。
 貴族夫人の心得として、夫の不在に家中を切り盛りするのは妻の大事な役目だ。ある意味、夫は彼女たちをカトレアに託していったとも言えた。リシャールの妻として夫に恥ずかしくない自分でありたいという、心の中のささやかな欲望に気付いてもいる。
 わたしは随分と欲張りねと、カトレアは微笑んだ。数年前ならば考えもしなかったような心の変化だ。
 それもこれも、彼女の夫のせいである。
「もう、リシャールったら……ねえ、マリー?」
「あーう」
「カトレア殿……」
 気遣わしげなアンリエッタに、彼女は微笑みを強くして見せた。リシャールはアンリエッタや家中の人間を安心させようとあのような物言いをしたのだろうが、カトレアから見ればあまり成功したとは言えなかった。
 ならば夫の尻拭いをするのは、妻の努めである。
「大丈夫ですわ、『アン』。
 リシャールが忙しいのはいつものことですもの。……それに夫は『なんとかする』と言いました。
 ですから、私たちは大丈夫です」
「ああーう?」
「ええ、そうよ。大丈夫よ、マリー」
 娘に笑いかけたカトレアは室内を見回し、一つ頷いた。マリーをあやしながら、扉の外で指示を出していたジャン・マルクに近づき話しかける。
「隊長さん」
「はい、カトレア様」
「リシャールはここも救護所として使えるようにと言ったけれど、他にやっておくべき事はあるかしら?
 その、言いにくいけれど……空賊が乗り込んでくるかもしれないのでしょう?」
 後半は小声だったが、ジャン・マルクは言葉に詰まった。確かに状況は平素とは言い難い。
 だが艦長は望みうる限り最高の技量を持つ名人であったし、今のところは流れ弾が少々心配な程度だ。
 彼の主人である領主リシャールは、陸戦ならば歳の割には極めて優秀なゴーレム使いで指揮官としても悪くはないと後任の領軍司令官レジスも太鼓判を押しているし、ジャン・マルクもそれは認めている。
 空海戦は初めての筈だが、使い魔とあって竜の操縦などは考えなくて良いから、領主自身の安全についての極端な不安は感じていない。空に上がったリシャールと使い魔アーシャの強さは、領軍時代の模擬戦で嫌と言うほど知っていた。
「……お言葉ですが、リシャール様ならば本当に何とかされると思います」
「あら」
 カトレアは少し驚いた風にジャン・マルクを見て、それから柔らかく微笑んだ。
「カトレア様にはかないませんが、我々もリシャール様のことは信じておりますとも。
 ただ、何と言ってもまだ危機を脱したわけではありませんから、フネの揺れが少々酷くなったり、流れ弾を受けたりする可能性があります。
 今のうちに吹き飛びそうな荷物を縛ることと、床に患者用の寝床を作ること。
 それから念のため、室内に避難所も作っておきたいと思います」
「そうね、お願いするわ」
「了解しました」
 敬礼したジャン・マルクは、自分を見て手を伸ばしているマリーに微笑んでから素早く動き出した。
「ヴァレリー?」
「はい、カトレア様。
 ……さあ急いで、あなた達!
 予備の毛布やシーツを全部持ってきなさい!」
 ヴァレリーは心得たとばかりに頷き、カトレアの期待に応えるべくぱんぱんと手を叩いてメイド達にはっぱをかけた。
「船倉に予備の帆布があったはず……使っても良いのかしら?」
「後で船長さんに聞いてみましょう」
「ジネット、蒸留酒と布は任せるわ!」
「はい!」

 素早く臨時救護所へと模様替えされる貴賓室内を横目に、カトレアは窓の外を見ていた。
「マリー、お父様にいってらっしゃいって」
「えやー?」
 窓越しにマリーに手を振らせ、カトレアは飛び立っていったリシャールとアーシャを見送る。残念なことに一人と一頭はこちらに気付かなかった。
「失礼します、奥方様」
「ええ」
 風が入り込んで室内の温度が少し下がったが、マリーをかばうと後は気にはならなかった。
 ガラス窓が外枠ごと外され、兵士が窓の外に手を伸ばす。砲門のあった場所にリシャールが錬金した板ガラスに木枠をはめただけの窓だったから、そのまま閉じれば良いのだ。
 もちろん、窓を封印したからと暗闇にはならない。
 貴賓室内部の明かりは城の部屋や廊下と同じく、魔法のランプであった。値段は張るが、火事の心配が一つ減るので重宝されている。後付した装飾はともかく、『ドラゴン・デュ・テーレ』の艦内でも元から使われているものだ。軍艦でも特に火薬を扱う砲甲板では、火の元に気を使うのは当然だった。
「隊長、持ってきました!」
 今度はごろごろと、兵士が三人がかりで生け簀の大桶を転がしてきた。中身を捨て去ればメイジでなくとも動かすことが出来る大きさに設計されているのは、リシャールの当初よりの要望だ。
「よし、右の隅に置いておけ。
 ……ああ、底を上にしておくんだぞ」
「はいっ!」
 両開きである貴賓室の扉は、直径二メイルもある大桶を壊すことなく室内に通すことが出来るようになっていた。大仰なことに、それが前後に二枚ある。
 これには少し事情があった。

 『ドラゴン・デュ・テーレ』には艦内に大砲などの大荷物を出し入れするための荷役用の扉が船首楼のすぐ後ろにあるのだが、容積を優先して船体中央に貴賓室を作ってしまうと、下層砲甲板後部との荷の出し入れが不可能になってしまうことがわかっていた。特に出航直前に搭載する予定の生け簀の搭載は、砲門の外に風車を突き出す関係から船体最下層にある船倉は使えなかった。ここには当然窓がない。
 そこで見栄えと荷役を両立させる苦肉の策として、両開きの二枚扉を備えたのだ。軍艦然とした砲甲板側から見ると異質な光景だったが、少なくとも貴賓室内部からの見栄えは悪くなかった。

「もしも敵艦が近づくようならば、毛布にくるまってこの中に入られて下さい。
 運悪く砲弾がこの部屋に飛び込んできても、飛び散った破片で怪我をすることは防げます」
「そうね、良い知恵だわ」
「あーう!」
 ジャン・マルクは大桶をぽんと叩いた。マリーも触りたいのか、樽へと手を伸ばそうとしている。最近は何にでも興味を示すようになった彼女だ。
「はい、陸の上でも室内ならば、テーブルを倒したり家具や椅子を積み上げて、魔法や弓矢、銃弾を防いだりすることはあります。
 リシャール様はこの桶をご注文された折、水の圧力がどうのと難しいことを口にしておられましたが、今の状況ではこの厚みが頼もしくありますよ」
 並の家具よりも厚い板が使われておりますからなと、ジャン・マルク。
 周囲では、兵士やメイドたちが床に毛布を敷いて寝床を作ったり、傷口を洗うための蒸留酒を用意したりと、着々と準備が進められている。
 準備が無駄になればよいなと軽口を叩きながらも、彼らは真剣だった。アルビオンから便乗してきた料理人らもそれを手伝っている。
 逆にアンリエッタは、アニエス他の護衛に囲まれて所在なげに座っていた。まさか彼女に、メイドや従者の仕事をさせるわけにはいかない。
「カトレア殿……やはり戦になるのですか?」
「リシャールも大丈夫と言っていましたでしょう?」
 アンリエッタの顔色を見て、カトレアはきっぱりと言い切った。
「でも……」
 アンリエッタが周囲の兵士やメイドらが動く様に不安をかき立てられているようだと、カトレアは気付いた。傍らに控えるアニエスの手を握っているが、今ひとつ効果が薄いようである。
 カトレアはアンリエッタにも何か仕事をして貰った方がいいのかと、小首を傾げた。アニエスに目で聞いてみると、彼女も黙って頷く。
「不安なときには、何かしていた方が気が紛れるものですわ。
 『アン』には……そうね、マリーのお世話をお願いしてもいいかしら?」
「わたくしが!?」
「わたしが船長さんのところに行く間だけ。すぐに戻ってきますわ。
 ……ね、マリー?」
「んあ?」
 カトレアは、よいしょとアンリエッタにマリーを抱かせた。
「えあー!」
「……ええマリー、大丈夫よ。
 わたくしと一緒にカトレア殿を待ちましょうね?」
 マリーの方でも慣れたもので、アンリエッタに笑顔を向けている。この旅行中よく遊んでくれた彼女の顔は、きちんと覚えているのだ。
 カトレアはそっと、マリーごとアンリエッタを抱きしめた。
 リシャールに抱きしめられていた時は自分が震えていたのにと、アンリエッタの髪を撫でる。
「『みんなで無事に帰ること』、本当に大事なことはそれだけですのよ」
「ええ、そうですわね……」
「あうー?」
 マリーには感謝ねと、カトレアは頷いた。多少は気が紛れた様子のアンリエッタに、アニエスともども苦笑する。
 艦長に会いに行こうとヴァレリーを探せば、流石に忙しそうだった。実質的には、ヴァレリーとジャン・マルクの夫婦二人がこの場のまとめ役なのである。もう一人、同行組では頼りになりそうなメイド兼水メイジのジネットも、病床の用意に余念がなかった。
「ではわたしは、船長さんのところに行って来ますわ。
 ……と、みんな忙しそうね」
 室内の状況や外から聞こえてくる喧噪を考えるまでもなく、艦全体が忙しいに違いない。流石に一人で出歩くのは少し問題だった。
「アニエス、カトレア殿のお供をお願い。
 わたくしなら大丈夫ですわ」
「『アン』様!?」
 リシャールの厳命を受けているアニエスとしては、この状況でアンリエッタの側を離れるのは躊躇われた。真面目な彼女のこと、責任感は人一倍なのだ。
「ではわたくしが命じます。
 アニエス、カトレア殿に同道して、艦長に状況を聞いてきて下さい。
 ……これならば、よいでしょう?」
 アンリエッタは悪戯っぽく微笑んで、アニエスとカトレアの顔を見比べた。
 論法は少々無茶だったが、手すきの者はアンリエッタの警護を任されているアニエスとその部下、そして王宮からついてきた彼女付きのメイドのみであることも事実だった。
 アンリエッタの顔にも、つい先ほどのような色はない。カトレアは即決した。
「ありがとうございます。素早く行って、素早く戻って参りますわ」
「はい、カトレア殿。
 アニエスも気をつけてね?」
「はい。
 ……二人とも、暫く頼む」
「はっ、副隊長!」
 控えの兵士がアニエスの立っていた位置に素早く入る。
 アニエスらに与えられたリシャールの命令では、マリーやカトレアの安全よりも『アン・ド・カペー』の安全を優先せよとなっていた。弾避け破片避けとして貴人の背中を守ることは、重要な任務である。
「えあーう?」
「ええ、すぐに戻ってくるからいい子でね?」
 カトレアはマリーを一撫でし、大丈夫だからとの思いを込めて頬ずりをした。
 その間に、アニエスがジャン・マルクに二言三言声をかけている。
「では少しだけ、マリーをお願いいたしますわ」
「ええ」
 先ほどのカトレアを見ていたのか、アンリエッタはマリーにいってらっしゃいと手を振らせた。

 貴賓室の扉が閉じられると、カトレアは大きく息を吐いた。人いきれと責任感に多少は緊張していたのである。
「カトレア様、もしや体調が!?」
「ごめんなさい、アニエス。
 大丈夫よ」
「いえ……」
 アニエスも本来はカトレア付の護衛である。ここ半年余りで妊娠と出産を終えたカトレアだが、元から体力のある方ではないとは聞かされていた。
「身体は……そうね、ふふ、わたしが生まれてから今までのことを考えると、今が一番元気かも知れないわ。
 もちろん、疲れ切っているアニエスにも敵わないと思うけれど?」
「ならば宜しいのですが……」
 狭い階段を上に登りながら、アニエスは周囲に目を配った。
 前方に配置された、階段を上がったところにある大砲に人の姿はない。
 『ドラゴン・デュ・テーレ』は大きさの割に乗組員の数が少ないと聞いているが、それでもメイドや護衛の一群は別にして、八十名近い水兵に加えて十人以上の士官が乗り組んでいる。アルビオン空軍時代、乗員の定数が三百名超の重装フリゲートであったことを考えれば少なすぎるほどだが、これでも『カドー・ジェネルー』から引き抜いて今回のアルビオン行きに間に合わせたのだ。
 後部で指揮を執っていた副長らが敬礼するのに合わせ、カトレアは軽く微笑んで会釈した。
「少し寒いわね。……何か羽織ってくればよかったかしら?」
「お戻りになりますか?」
「いいわ。このまま行きましょう。
 ……寒いから戻ったなんて、みんな一所懸命なのに笑われてしまうわ」
「……」
「見栄っ張りに見えるかもしれなくても、わたしはしっかりしていなくちゃいけないのよ。
 だってわたしは、リシャールの妻だから」
「カトレア様……」
 上甲板に出る階段に足をかけながら、カトレアはアニエスを振り返った。
「あら、アニエスも『副隊長さん』の時は気を張っているのではなくて?」
「はあ、まあ……」
「同じ事よ。
 人にはね、どんなに苦しくても前を向かなくてはいけない時があるの」
 口調とは裏腹に、気負いすぎているでもなく無理をしているでもない、自然な笑みをカトレアは浮かべている。
 人の心の強さは、時として人を輝かせるものなのだと、アニエスは頷いた。

 船首楼脇の階段から甲板に上がると、流石に寒風が容赦なく吹いている。
 カトレアはかき乱された長い髪を調えようとした。
「失礼!!」
「えっ!?」
 アニエスはカトレアを庇うように走り出てスカートを大きく跳ね上げ、太股の短銃に手を掛けた。同時にとても大きな何かの折れる音が響き、次いでフネ全体が大きく揺れる。
 目の前に巨大な、カトレアらの倍ほども身長がありそうな魔法人形が背を向けて立っていた。これがカトレアらのすぐ側にあったフォアマストを根本から折ったのだ。
 マスト同士と艦首艦尾は帆綱で結ばれているので今はぶらさがっているが、既に帆の役目を果たしていない。むしろ、急激に速度を落とす原因となっていた。
「いかあん!! 咄嗟白兵戦闘! 目標、艦首のガーゴイル!」
 艦長の大きな怒鳴り声が、カトレアらの耳にも届いた。
 手にしていたフォアマストの残骸を舷側に捨てたガーゴイルは、次のメインマストに向かおうとしている。メインマストにだけは見張り台があり、その上には水兵がいるはずだった。マリーが登りたがったのでよく憶えている。
 カトレアは間に合わないと瞬時に気付いた。士官らが走ってくるのが見えたが、マストが邪魔で魔法を撃つことが出来ないのだ。
「アニエス撃って!」
「はっ!」
 白煙と轟音。撃たれたガーゴイルがこちらを向く。
 少しでも時間を!
 カトレアは、数年振りに自ら杖を掲げた。
 この場にルイズでもいれば、戦慄したに違いない。アニエスもカトレアの表情とその手の杖を見て素早く下がった。
 その目つきの鋭さと身にまとった雰囲気は、彼女たちの母親が戦場に立つ姿に生き写しであった。普段の柔和な面差しはどこにもない。
 傍らのアニエスが聞き取れるか取れないかの小さな声で呪文が紡がれ、杖が振り下ろされた。
 見えない空気の塊が、カトレアへとのびてきた腕ごとガーゴイルの肩を粉砕する。甲板にぱらぱらと残骸が飛び散った。
 続いて腹、頭、残った手足が次々に砕かれてゆく。最後に胸。
 計十一発のエア・ハンマーを立て続けに食らったガーゴイルは、動かせる場所がなくなって沈黙した。
「アニエス、怪我はない?」
「はい、もちろん!」
 幾多の戦場を駆けめぐったアニエスだが、内心で舌を巻いていた。
 平民でメイジの血を持たない自分にはもちろん使えない魔法、そしてその戦いぶり。
 だが、カトレアの素早い詠唱や的確な攻撃は、これまで戦場で自分が見てきた手練れの傭兵メイジに劣るものではなかった。棒立ちのままで呪文を唱えるのはどうかと思ったが、そもそもカトレアは子爵夫人であり、戦場に立つべき人ではないのだ。咄嗟の出来事に狼狽せず、アニエスに射撃を命じたことを考えれば上出来すぎる。
「奥方様!」
「こちらは大丈夫よ」
 ようやく、息を切らせて艦長らが走り込んできた。いや、カトレアが素早かったと言うべきか。
「帆綱を切れ! フォアマストは投棄だ!」
「了解!」
「右舷から落とせ!」
「水兵を巻き込むなよ!」
 士官が杖を振ると、風の魔法で手早く帆綱が切られた。射られた白鳥のように帆が尾を引きながら落ちていく。
「申し訳ありません。
 あのガーゴイルは最初からこちらに位置し、本艦を待ち受けておったようです」
「死角を突かれました。……見張りを責めるには酷でありますな」
「子爵閣下に最初の三体引きつけていただいていなければ、非常に拙いことになっていたところであります」
 艦長らに続き、帆の投棄を終えた士官らが現状を口にする。
「リシャ……いえ、夫は今どこに?」
「はっ、直前ですが閣下はおよそ三リーグ後方にて、二体のガーゴイルを撃墜されました。
 今はもう一体を追っておられます」
「そう……。
 そうだわ、それよりも!」
「はい、このままでは間もなく空賊に追いつかれます」
 折れたマストを前に、重苦しい沈黙が流れた。

「速度を喪ったのは痛いな」
「おい、風魔法はどうだ?」
「風の魔法で速度を上げても、そう時間は稼げません」
 場所を後楼の操舵所に移したカトレアらは、迫る空賊のフリゲートを見上げていた。
「艦長、現在彼我の距離は約一リーグ、速度差を考えると追いつかれるまでに約二分、というところであります」
「覚悟せねばならん、か……」
 ラ・ラメーはしばらく瞑目した。それに気付いた部下達も口をつぐむ。
 この距離になって敵艦は射撃を止めた。やはり、『アン・ド・カペー』の略取が目的なのだろう。流れ弾で彼女が死んでしまいでもすれば、名は上がっても身代金の取りようがない。
 幸い、追加で空賊が現れる気配はなかった。
 ならばラ・ラメーの取るべき方法は決まったも同然だ。
「……逆撃だ。
 こちらから切り込むぞ。
 伝令! 砲甲板からビュシエールを呼んでこい!」
「はいっ!」
 走り出した伝令に目を遣りながら、ラ・ラメーは矢継ぎ早に指示を出した。それから、思い出したようにカトレアに向き直る。
「奥方様」
「なにかしら?」
「残念ながら本艦が敵から逃れることは不可能になりました。
 接敵に合わせてこちらから切り込みを行い、それを以て本艦の安全を確保したいと思います。
 ああ、無論自棄になったわけではありませんぞ?
 勝算は十二分にあります」
「勝てる、と?」
「……はい」
 じっと内心を見透かすように見つめられたラ・ラメーだったが、提督に睨まれた士官候補生の様な気分を引き出されつつもカトレアの視線に耐えきった。

 アニエスを連れて艦内へと戻るカトレアを直立不動の敬礼で見送ったラ・ラメーら『ドラゴン・デュ・テーレ』の基幹要員は、期せずして同時にため息をついた。
「……こう言っちゃなんですが、子爵夫人にしておくのは惜しいですな」
「土のメイジだとお伺いしていたが、あの風、なかなかどうして大したものだ」
「まったくだ。
 ガーゴイルを下した手際といい、先ほどの……まあ、なんだ、子爵閣下が尻に敷かれてるのは間違いなかろうな」
「うちのかかあより迫力あったぞ……」
「貴様ら、無駄口はそこまでだ」
 古びた軍杖を手に、ラ・ラメーの叱咤が飛ぶ。
「野郎共! 空海軍魂を空賊に見せつけてやれ!
 エクトル! 貴様は銃兵をまとめろ! 我々の突入後、可能なら続け!
 ルイ・アルベール、マルスラン、お前らは見張り台に登って上から奇襲だ。混乱に合わせろ!
 ユルバン、舵は任せた! 接舷される直前に艦の尻を振ってぶつけてやれ。得意だろう?」
「各員射撃準備!」
「艦長、戻りました!」
 ビュシエールが伝令とともに戻ってくる頃には、粗方の準備が整えられていた。
 手前に銃を持った水兵、奥にメイジ。突入はメイジが優先で、水兵は『機会があれば』後から渡る。
「ビュシエール、ビュシエール! 切り込みだ!」
「……結局、そうなりましたか?」
「ふん!」
「敵艦、距離半リーグを割りました!」
 艦長の表情と士官の配置を見て自分は支援かと判断し、ビュシエールは舵の側で杖を抜いた。
「五時方向下方に子爵閣下の竜!」
「何!?」
 慌てて艦尾からのぞき込むと、確かに小さく竜が見える。間違いない。
「ガーゴイルはいないようです」
「あれなら上手くすれば空賊の死角を突けるかもしれん。
 ユルバン! 艦を少し右に寄せろ!」
「了解!」
「エクトル! 撃て! 届かなくて構わんから間を開けるな!
 五十を切ったら接舷に備えろ!」
「了解!
 輪番射撃! 目標任意! 山なりに構えろ!
 ……一番、撃てえ!」
 艦が僅かに傾き、同時に轟音と白煙。それらが後方へと流れていく。五人しかいない銃兵隊だが、あるとなしでは大違いだ。
「ビュシエール、風の守りを!」
「エア・シールド!」
 近距離で放たれる大砲の葡萄弾にはほぼ無力だが、魔法の直撃を受けるわけにもいかない。防げるものから防いで行くしかなかった。
 葡萄弾の方は、個艦戦闘ならばと注釈はつくが、相手の針路を見極めて微妙に艦を操ることで極端な被害は避けられた。砲門による制限から、敵も味方も射角は極めて狭いのだ。至近距離で銃や魔法が主役となる由縁であった。
 逆に腹を見せあっての同航戦など、互いに好適な射撃位置を確保しつつ葡萄弾を撃ち合うと、双方の甲板が艦首から艦尾まで屍山血河に早変わりするほど酷いことになる。
「輪番射撃止め!」
「機関二つ上げ! 来るぞ!」
「士官抜杖!」
 敵と互いの顔を確認出来る程の距離になると、向こうからも銃弾が飛んできた。こちら同様、数は少ない。ついでに魔法の火の玉も飛んできたが、これはエア・シールドに弾かれた。
「ユルバン今だ! ケツを振れ!」
「取り舵一杯!」
「全艦衝撃に備えよ!」
 艦が僅かに上昇を始めた。
 敵艦はやや上方から左艦首を押し当てるように『ドラゴン・デュ・テーレ』へと迫ってきた。空賊らがかぎ縄や渡り板を用意して待ちかまえている姿も見える。
 だが空賊の意図に素直に従ってやる謂われはない。
 こちらは艦尾を振って勢いよく押し当てることで、相手を弾いて接舷をさせないようにするのだ。
 但し例外もあった。渡り板を使わないメイジに影響はない。
「一斉射! 目標敵メイジ! 撃て!」
「ウインド・ブレイク!」
「突入! 突入!」
 距離が縮まって艦同士がぶつかる一瞬の前、銃兵とビュシエールの援護を受け、杖先にブレイドをまとわせたラ・ラメーを先頭にメイジたちが飛び移った。
 続いて両艦に衝撃が走り、倒れる者が続出する。空賊が掛けそこなった渡り板も落下していった。
 魔法を放とうとした空賊メイジも例外ではない。衝撃で倒され、起きあがろうとしたところを刺し貫かれて絶命した。当然ながら、メイジは優先的に狙われる。お互いに厄介なのだ。
 飛び移った勢いのままブレイドで、あるいは風の、火の魔法で。空賊は数を減らしていった。
 訓練されたメイジが平民の兵士数個小隊に匹敵すると言う通説は、決して誇張ではない。
「ルイ・アルベール、銃兵を先に始末して……しまった!」
「目標、乗り手! 撃てええええ!!」
「いかん! 閣下ああああ!!」
 ラ・ラメーの叫び、竜の咆吼、複数の射撃音。
 そして砕け散る後楼。
 ラ・ラメーがこちらに向けられた銃が少ないと気付いた時、意図せずして空賊の銃を一手に引きつけた形になったリシャールが受けた銃弾の衝撃で仰け反り、同時にアーシャが敵艦の後楼に『震える息』を叩きつけるのが彼の視界に入った。







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