ゼロの使い魔 ハルケギニア南船北竜
第九十一話「戦いの後」




 リシャールはアーシャの背に倒れ込んだ。衝撃を受けた腹や胸よりも、左上腕に猛烈な痛みが走っている。そちらも撃たれたらしい。
 だが意識ははっきりしていた。左手も、幸いにして指の感覚はある。
「きゅいいいい!?」
 痛みに堪えて薄く目を開けると、敵艦の後楼は全壊していた。完全に凹んでいる。リシャールを銃で狙っていた空賊も、どこかへ吹き飛ばされたようだ。
「閣下! ご無事ですか!」
「きゅい!」
 後楼手前に降りたアーシャに、何故かラ・ラメーが駆け寄ってきた。
 ここは敵艦だったはずではと、回らない頭で考える。
「艦長、何故ここに……?」
「閣下!
 ……おい、マルスラン!
 閣下をフネに後送して差し上げろ! 銃傷だ!」
「艦長、上甲板の空賊は全滅! 投降者あり!」
「よし! 自分もルイ・アルベールを援護して艦内に突入する!
 ビュシエールには艦を寄せて水兵を送り込めと伝えろ!」
 アーシャからレビテーションで降ろされ、甲板に座らされたあたりで意識がはっきりしてくる。腹に痛みが少ない理由も、なんとなく思い当たるふしがあった。
「僕は……失礼、私は大丈夫です。
 自力で戻れます」
 腹に抱えていた十八リーブル弾を示す。入れ物にしたマントには穴が出来ていたが、血痕はどこにもない。
 恐る恐る腹と胸元に手を入れてみるが、殴られた後のような痛みがあるだけでやはり血は流れていなかった。胸の方はマザリーニより贈られた聖典が、砲弾に当たって破砕跳弾したらしい鉛弾のかけらを受け止めている。あまり信心深くないリシャールとしては些か申し訳ない気分にもなるが、心の中で小さく聖句を唱えておく。
 左腕は、袖の千切れているところをのぞき込むと、若干肉がえぐれていた。腹に比べればこちらの方が余程酷い傷だ。だが多少見栄を張れば、我慢できないことはない。
「ふむ、閣下は強運の持ち主でいらっしゃいますな?」
「艦長の入れ知恵のおかげですよ?
 少し休憩してから自力で戻ります。
 アーシャが睨みを効かせてくれますから、大丈夫で……」
「きゅいいいいいい!!」
「艦長! 後ろ!!」
「む? 
 ……なっ!?」
 現代日本とハルケギニアの二世界を知るリシャールの常識でも、全く計り得ないものがそこには居た。
 胸に向こうまで見える穴の開いた空賊。どう見ても死んでいる。目つきもどことなくおかしい。
 空賊が死体になるのはよくあることだ。空海軍と一戦交えれば降伏しない限り死体になったし、捕縛されれば罪の程度や司法官の機嫌によっては、鞭打ちや懲役の他に縛り首や火炙り、串刺し、斬首が選ばれることもある。
 だが、杖にブレイドを光らせてゆらりゆらりと歩いてくる明らかに心臓の止まっていそうな空賊は、流石に想像の外にあった。
 それは映画や小説、ゲームの中にこそ相応しい存在であって、具現化して欲しいようなものではない。
 慌てるリシャールに対し、艦長の反応は冷静を極めていた。
「まさか屍人鬼かっ! ええい!」
「艦長!?」
 ラ・ラメーがエア・アンマーを叩き込み、空賊は帆柱に向けて飛んでいった。マルスランがそれを追いかけてブレイドをかけた軍杖で腕を切り飛ばし、次いで足や胴体を切り刻んだ。あっという間に肉片の山が出来上がる。もちろん、見ていて気持ちのいいものではない。
 切り刻まれた死体はそれでもしばらくは部分ごとに動こうとしていたが、やがて大人しくなった。
「マルスラン! 予定変更だ!
 貴様はルイ・アルベールと切り込み隊の指揮を交代、奴をこっちへ寄越せ!」
「了解!」
 ラ・ラメーは注意深く周囲を警戒しながら、マルスランを送り出した。
「……相手が鈍重なおかげで助かりましたな」
「ええ。
 艦長、屍人鬼とは……?」
 肉片を見ても、リシャールは吐き気も何も催さなかった。死体に慣れているわけではないのだが、今日のところは忙しさと驚きと疲れと痛みで自分の心はそれどころではないらしい。
「小官も詳しいことは存じませんが、吸血鬼にとっての使い魔のようなものらしいです。
 血を吸われた人間のなれの果てだそうで、屍人鬼は完全に動けぬよう切り刻んでおかねば、いつ牙を剥くやも知れぬとか。
 焼けば一安心なのですが……いま呼びにやったルイ・アルベールは火のメイジ、奴に任せます。
 あとは、吸血鬼が乗っておるかどうかが……」
「艦長! 船倉まで制圧完了しました!
 敵にメイジが少なかったのは幸いでしたが……」
「ルイ・アルベール!
 それどころじゃない!」
 艦長の怒鳴り声に慌てたルイ・アルベールが歩くのを止め、こちらまで駆けて来た。彼自身は怪我をしていないようだ。
「屍人鬼だ。死体のまま歩いてやがった。
 燃やしてくれ」
「屍人鬼……グールでありますか!?」
「そうだ。
 とりあえず切り刻んだが、燃やした方がいいのだろう?」
 ルイ・アルベールは肩をすくめてから、炎を呼んで肉片を炭に変えはじめた。
 注意深く甲板を燃やしすぎないようにしているのだろう、時々杖を振るっている。だが彼は、しばらくすると首を捻りだした。
「……艦長」
「なんだ?」
「どうもですね……屍人鬼にしては燃え方が悪い気がします」
「む!?」
 ルイ・アルベールは肉片を焼く手を止め、軍杖にブレイドをかけて炭をかき分けた。いくらか燃え残りがあったのか、赤黒い肉塊が姿を見せる。
「血を吸われた屍人鬼は……言い方は悪いですが乾いてるはずなんです。
 ところがこいつは……ご覧の通りです」
 血が滴る、とまではいかないにしても、ルイ・アルベールの示した先には肉汁らしきものがある。肉が切り裂かれると湿っているのがよくわかった。
「ふん、なるほどな」
「別の、死人を動かすような魔法か何かだと思います。
 自分も、その、詳しくはないので……」
 死体を動かす。
 そんな方法が幾種類もあるとはと、リシャールは額を押さえた。
 父や母の手で、あるいはクロードにつき合ってアルトワ伯爵家の家庭教師から多少の手ほどきを受けてはいても、それほど魔法学に造詣が深いわけではない。土系統の戦闘分野ならばともかく、それ以外の専門ならば尚更だった。
「まあいい、一応そいつは消し炭にしておけ。
 それから捕らえた空賊共にメイジの生き残りはいたか?」
「自分は目にしていません。
 艦内突入後には出会いませんでした」
「生き残りは集めて厳重に監視しておくしかないか。
 後は上の方に丸投げする」
「……よろしいので?」
 ラ・ラメーは肩をすくめ、ルイ・アルベールに向かってふんと鼻で息をはいた。
「これ以上厄介事を増やしてたまるか。
 それと空賊の生き残りは絶対に『ドラゴン・デュ・テーレ』には近付けるなよ?
 全員に徹底しておけ」
 動く死体に絡んで、通常の対空賊戦とは違った危険が内包されている。それ故の指示だった。
 
 そう間を置かずに『ドラゴン・デュ・テーレ』が横付けされ、水兵らが乗り込んできた。代わりに、水メイジに応急処置だけを受けた重傷の士官らが運ばれていく。二人ほど空賊の反撃でやられたのだ。
 空賊側のメイジが少なかったおかげで、こちらに死者が出なかったのは幸いだった。彼らにこちらと同数のメイジがいたならば、とても酷い結果になっていたかも知れない。メイジの差は質、量ともに、そのまま戦闘力の差に直結することが多かった。
 更に相手になった空賊が、人数こそ多くとも非メイジの平民が殆どであったのもこちらを有利にした。彼らが手にする連射の出来ない銃と白兵にしか使えない剣や槍は全くの無力無手よりは幾分ましでも、平民がメイジを倒せば『メイジ殺し』と賞賛されて周囲からの扱いが一変するほどに希なことだとされている。
 艦長らは無論艦上で行われる白兵戦については専門家であり、防戦されることは予想していても逆撃を警戒していなかった空賊側の落ち度や、非メイジの空賊は多くとも、確認した限りでは二人しかいなかった空賊のメイジに対し、艦をぶつけて出鼻を挫いた上で援護を受けた手練れを一気に七人も投入したこちらが勝って当然と後になって聞かされた。リシャールが銃を持った兵士を引きつけていたことや、アーシャが指揮所である後楼を一気に潰したことも幸いしていたという。
「アーシャ、艦長達がこのフネを調べ終わるまで、しばらく見張りをお願い。
 ……ちょっと心配なんだ。
 空賊の生き残りが暴れても困るけど、それよりも、今もう一隻空賊が現れれば逃げることも出来ないからね」
「きゅい!」
「うん、ありがとう。
 僕も包帯を巻いたらすぐに戻るよ」
 リシャールも自分の腕に水魔法を施して、簡単に血止めだけを行っていた。深くはないが長さが数サントもある傷の完治は端から諦めていたし、痛みも大して引かないが、出血を押さえるだけならば自前で何とかなる。本格的な治療は重傷者の治療に余裕が出てからでいいと、断るだけの余裕はあった。
 アーシャの方は銃弾を受けたが無傷で、これは竜体と使い魔の印が作用した結果らしい。普段は全く気にしていなかったが、彼女には契約時に『鉄壁』のルーンが刻まれていたことを思い出した。
 身体と気持ちが少し落ち着いてきたことを確かめ、砲弾の入ったマントをその場に残して左腕を庇いながら立ち上がる。
 後楼はアーシャが操舵所ごと天井を押しつぶしたので見る影もなく、甲板上では既に『ドラゴン・デュ・テーレ』の士官と水兵が方々に取り付いていた。曳航する為の準備と、戦闘後の検分が行われているのだ。
 捕虜への信用度が低いこととこちらの余剰人数が少ない為、帆柱を一本喪った『ドラゴン・デュ・テーレ』には少々重荷だが、今回は索具を用いて曳航するとラ・ラメーからは聞かされている。

 捕虜への信用と聞くとリシャールなどには違和感も多々あるが、相手が敵対国の正規軍艦ならば拿捕したフネには指揮官と乗組員を派遣し、自力で航行出来るようならば捕虜にも手伝わせて追走させることが多いのだそうだ。降伏した捕虜についても慣習法のようなものはあり、杖に誓って降伏した貴族士官などは家格や役職、知名度に応じた身代金と、あるいは同等に近い捕虜士官とその差額などが計算されて交換される。捕虜の方でもそれを知っているので、一度降れば大抵は大人しいそうだ。
 但し、空賊海賊は別だった。
 彼らは身代金を払ってくれる後ろ盾もなく、更には犯罪者である。同じ捕えるでも、戦争捕虜とは扱いが根本から異なった。艦長から中堅の幹部までは、取り調べ後に生きていても大抵は死刑が課せられる。下っ端は『運が良ければ』懲役刑や鞭打ちで済む可能性もあるが、今回の場合は少々特殊な条件が存在するのでそれは望み薄だった。
 襲撃を仕掛けた『ドラゴン・デュ・テーレ』に、トリステインの王女たるアンリエッタが同乗していたのが彼らの不幸だ。
 例え下っ端の空賊には知らされていなかったとしても、王族に弓を引く行為に酌量の余地はない。状況証拠でしかないが、近距離では砲撃を止めたこと、待ち伏せも含め空賊にしては過剰な合計四体もの戦闘用ガーゴイルを行使してきたことなど、空賊が『ドラゴン・デュ・テーレ』に対し取った行動は、王女の座乗とその略取を意識していたと解釈されても仕方のない内容だった。
 
 検分の様子を横見しながら歩いて『ドラゴン・デュ・テーレ』に移ったリシャールは、まずは腕の手当をするべく下層の貴賓室へと降りていった。
 流石に止血だけで放っておくわけにもいかなかったし、『戦闘中はともかく、事後に指揮官が負傷をそのままにしておくことは怪我の程度によらず士気に関わる。例え子供でさえ泣かない程度のかすり傷でも、指揮官の負傷も治療できないほど余裕がないのかと部下に深読みをさせては宜しくない』と、艦長に耳打ちされたのだ。これも張るべき見栄の一つらしい。
「お帰りなさいませ、領主様!」
「領主様がお戻りになられたぞー!」
 下層砲甲板へと降りると、前後共に扉が開かれた貴賓室入り口には領軍から派遣させたメイジと兵士が衛兵として両脇に立っていた。
「ご苦労様。
 こちらはどうでした?」
「奥方様、お嬢様、カペー殿、それにアルビオンからの客人も含め、全員無事であります。
 今は怪我をした船乗りの治療が行われ……領主様もお怪我を?」
「応急手当は済ませました。
 後回しでも良いくらいですが、包帯だけは巻いておきたいところです」
 確かに、中では忙しそうにメイドや従者が走り回っている声がする。救護所に使えるようにとしていた準備が役立つ状況になってしまったのは残念だが、備えあれば憂いなし、であった。
「リシャール、お帰りなさい!」
「あーう!」
「ただいま、カトレア、マリー。
 大丈夫だった?」
「ええ」
 マリーを抱えたカトレアを見て、心底安堵する。彼女たちの無事は、直前に知らされてはいても嬉しいものは嬉しい。
 ぎゅっと抱きしめそうになるのを我慢し、そっと抱き寄せる。力を入れる寸前、戦の前に強く抱きしめすぎてマリーに嫌がられたことを思い出したのだ。
「さ、こっちへ来て。
 怪我をしているのでしょう?」
「うん。
 ああ、先に運ばれた人たちは?」
「ふふ、見てみて?」
「……?」
 微笑むカトレアに押されるようにして入った室内では、袖口とスカートを怪我人の血で汚した『アン』が、護衛の筈のアニエスや、セルフィーユ家お抱えのメイド兼水メイジであるジネットらを助手に杖を振るっていた。
「アニエス、重い傷を負っている人はこの人で最後だったかしら?」
「はい、『アン』様」
「じゃあ次は、後回しにしていた小さな傷ね」
「『アン』様、この二人は小さな傷も治療を終わらせました」
「うふ、先回りしてくれて助かるわ、ジネット。
 じゃあ、そちらの二人は誰かに頼んで着替えさせて頂戴」
「はい」
 どういうことだろうとカトレアに目で問いかけてみたが、彼女は変わらず微笑むだけだ。
「むー?」
「ん? マリーだめだよ、手が汚れるよ」
「むあー?」
 いくら彼女の興味を惹いたとしても、傷に手を伸ばされては敵わない。
 彼女の鼻をちょんとつついて興味を逸らしてから、室内へと入る。
 床に寝かされた負傷者は全部で八人、うち二人は逆撃の際に負傷した士官だった。若干血の臭いが残っているものの、粗方の治療が終わって室内の様子も落ち着いたものだ。十分身体が戻ってきたのか、半身を起こして食事を摂っている者もいる。
「リシャール?
 ……! アニエス、彼をこちらに」
「はい」
 こちらに気付いたアンリエッタが、アニエスを促してリシャールを椅子に座らせた。そこが簡易の診察場所らしいと気付いて大人しくする。
 どういう風の吹き回しか、とまで言ってしまっては彼女に対して失礼かも知れないが、先ほどリシャールがこの場を去るときの彼女とは全く様子が異なっていた。
 例えて言うならば、僅かな間に二つ三つ歳を重ねたような感じである。リシャールがアーシャに乗って飛び立ち、戻ってくるまでのこの短い時間に、彼女は何を体験し、何を感じ取ったのだろうか。
「『アン』、その、これは……非常にありがたいのですが、よろしいのですか?」
「あなたも……怪我をなさったのね」
 彼女はこちらの質問に答えず、杖をかざしてリシャールの腕の治療を始めた。
 集中力を乱してはいけないかとアンリエッタの行動についての疑問を一時棚上げし、治療を受けることにする。
 流石、アンリエッタは水の王家の姫だった。リシャールの知る水メイジ、例えば自分の母親やアルトワ伯爵夫妻ら経験豊富な彼らに勝るとも劣らない魔法技で、あっという間に傷口が塞がっていく。
 王族の手ずからに負傷の治療を受けるなど、乗組員達が知ればどれほどの騒ぎになるだろうか。もちろんリシャールとて緊張はしているが、少し意味合いは異なるかも知れない。
「……ねえ、リシャール」
「はい、『アン』?」
「リシャールは、どうだった?」
 戦のことを問われているというのはすぐにわかった。だが、答え方が問題だった。
 アンリエッタはリシャールの答えを待たず、そのまま先を続ける。
「わたくしは、恐かったのです。
 マリーは笑顔だったし、カトレア殿はいつもと変わらなかったけれど、リシャールはよく考えればやはり様子が違うし、供まわりの皆も緊張していた。
 リシャールが出ていってしばらくしてから、怪我をした人たちが運ばれてきて、わたくし、驚いて叫びそうになったのだけれど……声が出なかったわ」
 いかに艦内で一番分厚い内装を施された貴賓室ではあっても、救護所に指定したのは失策だったかも知れない。リシャールが彼女の為に用意するべきは安心や安全であって、流血や恐怖ではなかった。
「怪我をした人を、見たことがなかったわけじゃないの。
 水を司る家の娘が、目の前の怪我に怖じ気づいて癒しの魔法を使えないなどという事が無いようにと言われて、わたくし、魔法衛士隊や王軍の訓練を見学しましたもの」
 少し寂しそうに笑ったアンリエッタは、魔法を止めて杖を収めた。リシャールの傷口は、わずかな引きつれを残して消え去っている。見事な腕前だ。
「怪我をした騎士たちは、みんな笑っていたわ。
 痛いはずなのに、『もっと強くなるぞ』、『次は負けない』って。
 だから、血を見ても骨を見ても恐くはなかったの。
 でも、それは訓練で、今日の……本当の戦争とは違うわよね?」
「……」
「何よりも違うのは、この人たちもリシャールも、わたくしの為に戦って、そして怪我をした。
 ……そうよね?
 答えなさい、リシャール」
 静かな瞳に、落ち着いた顔色。アンリエッタは、決して激しているわけではない。
 だが彼女からは、ウェールズ以上にアルビオンのジェームズ王に似た雰囲気を受け取ったリシャールだった。以前、王の執務室に呼ばれ人払いをされた時のことを思い出さざるを得ない。
 姿勢を正し、真っ正面から彼女を見据える。
「責任を感じていらっしゃるのですか?」
「……そうかも知れないわね。
 どうしていいのかわからない、と言った方がいいのかしら。
 何も知らない自分が恨めしいほどよ」
 何が彼女をそこまで追いつめ、上に立つ者としての自覚を促したのか、リシャールにはわからなかった。自分もセルフィーユの領主として立っているが、そこまで追いつめられたことは一度もない。
 返す答えによっては、彼女のその後が決定付けられる可能性さえあることも、リシャールの口を重くしていた。嘘をつかず真面目に答えればよいといった、単純なことではない。
「……正直に申し上げます。
 何と答えて良いか、何と答えるべきか、その迷いも含めてお話ししたいと思います」
「許します」
 リシャールは、『アン・ド・カペー』ではなく『アンリエッタ・ド・トリステイン』に相対しているものとして、態度を切り替えた。
「先ほどの御質問ですが、『はい』であり『いいえ』であり、また『何とも言えない』、です」
「……どういうことかしら?」
「自分も含めて、全ての乗組員、領軍、メイド、従者は、間違いなくアンリ……失礼、『アン』様や、私の妻子を守るために戦いました。
 その過程でここに居る彼らは不運にも怪我をしましたが、同時に彼らがその職分に全力を尽くし、奮戦したことも間違いありません。
 この点では『はい』と明確にお答えすることが出来ますし、空賊に臆せず戦った彼らを、私は誉れに思います」
「……」
「ですが、この一行の総責任者は私です。
 戦いへの明確な命令は何一つ出しておらずとも、彼らの怪我やフネの破損も含めて全ての責任は私にあります。
 彼らの怪我について、『アン』様が責任をお感じになることはありません。
 この観点から眺めると、『いいえ』というお答えを返すことになります。
 まずこれが一つ」
「……続けなさい」
 いつの間にか部屋は静寂に包まれていたが、今更止めるわけにも行かない。リシャールは考えを整理するために一度沈黙してから話を続けた。
「はい。
 もう一つは、お話すべきかどうか迷いましたが、空賊が単に子爵家一家に見合う程度の身代金欲しさに行動したわけではなく……これはあくまでも現段階での推論ですが、空賊がこのフネに狙いを定め襲ってきたのは、『アン』様の身を狙ってのものである可能性が極めて高いと言わざるを得ないことです」
「わたくしの……!?」
「足の速いフネはともかく、高価なガーゴイルを使う空賊などは艦長も聞いたことがないと言っていました。私が出ている間に待ち伏せもあったようですし、この襲撃が準備されていたことは、恐らく間違いありません。
 裏話になりますが、駐在大使殿も我々一行には影ながら気を使って下さっていましたし、アルビオン側も『ウェセックス』伯爵様を同道させることで、『アン』様の名を出すことなく精鋭の騎士を護衛に配していました。大使殿のお話では、我々が通る航路の警備も強化されているそうです。
 それでも……襲撃は行われました。
 ここから先は単に現場にいる我々だけの問題ではなく、政治的な要素、あるいは責任問題が絡みますので、少なくとも、空賊の背後関係や襲撃以前の動きを知らないことには答えを出せるものではありません。
 今のところは『何とも言えない』、のです」
 アンリエッタの存在が襲撃を招いたのは間違いなくとも、もちろん彼女に責任を求めるのは筋違いであった。だからと言って彼女の前で王政府や空海軍を非難するのも少し違うし、自らを貶める発言をするわけにもいかない。空賊が悪いと言い切ってしまうのも、子供じみている。
 当事者であることが、リシャールに言葉を選ばせていた。
「『アン』様」
「……なにかしら?」
「恐らく、『アン』様にとって、この空賊の襲撃話はこれで終わると思います」
「えっ!?」
 今回の件を奇貨として扱うこともないだろうし、当事者ではあっても彼女には事件の詳細までは知らされまい。
 自分の読みは恐らく間違いないだろうとリシャールは考えていた。
「ただ、ご興味があるようでしたら……ひと月ふた月話題を寝かせた後で、『政治に大変お詳しいお方』にでも事の顛末をお聞きになられると良いと思います。
 『アン』様にはこれからもっと、私などよりも余程大変なことが色々あるはず。
 ですが、今回の一件とその顛末を今後に活かしていただけるならば」
 リシャールは一旦言葉を切り、らしくないかなと思いながらも椅子から降りて跪いた。
「それこそを、セルフィーユ家の名誉としたいと思います」
 アンリエッタはしばらく無言でリシャールを見下ろしていたが、やがて立ち上がった。彼女がリシャールの肩に当てた杖先は、僅かに震えている。
「セルフィーユ家に水の恵みと祝福を」
 リシャールは、より深く頭を垂れた。

 結局、予定よりも丸一日を余計に遣い、『ドラゴン・デュ・テーレ』は空賊のフネを曳航して無事ラ・ロシェールへと到着した。
 事後処理のある自分たちはともかくも、アンリエッタは一刻も早くトリスタニアへと送り届けたい。リシャールはラ・ラメー艦長に交渉を頼んで、空海軍からフリゲートを強引に借りて貰った。ついでにカトレアとマリーもセルフィーユへと送り届けて貰うことにする。
 戦闘後に治療を施してくれた『アン・ド・カペー』嬢に総員帽振れで感謝を示してフリゲートを送り出した後、生き残って捕縛されていた空賊の引き渡しや空海軍の軍官僚が立ち会っての拿捕艦検分、修理の手配などに三日ほどが忙しく費やされた。
 今日は朝から空賊のフリゲートから回収された小物などを調査し、王政府に提出する拿捕申請の書類を調える作業を行っている。
 私掠を成立させるには大は船体そのものや大砲から小は空賊の私物まで、得た財貨物品の全てをまとめた一覧表を作成しなくてはならなかった。王政府はこれに対して金額を算定し、セルフィーユ家に対して課税をするのだ。……今回得られた空賊のフリゲートについて、売り飛ばしてしまいたいリシャールと三隻目として使いたいラ・ラメーの間で深く静かな戦いが始まるのは、そう遠いことではないだろう。
「水晶球?
 ……また空賊には似つかわしくないものですね」
「閣下、この水晶球は……ふむ、部下の走り書きを見るに、壊れた魔法人形と一緒に後楼の残骸から発見された物ですな。
 それなりに価値はありそうですが、面倒を背負い込みそうな物は、私掠申請とは別に証拠品として役人に押しつけてしまう手もありますぞ」
 だが。
 その日の昼過ぎになって、リシャールの元を高等法院の役人と貴族院の議員が訪れたことで、全てが白紙になってしまった。

「セルフィーユ子爵家当主リシャール・ド・セルフィーユ閣下、貴公を逮捕します。
 罪状は、職務の怠慢によりアンリエッタ姫殿下のお命を危うくさせたこと。
 ……よろしいですかな?」

 寝耳に水だった。
 だが内心では言いがかりに近いなとは思っても、あらぬ罪と否定はできない。
 最大限の努力を払い危機をはね除けたとて、預かったアンリエッタを危険にさらしたのは疑いようのない事実なのだ。
 責任とは得てしてそういうものだと、リシャールは知っていた。







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