ゼロの使い魔 ハルケギニア南船北竜
第九十話「空中戦」




 敵艦を飛び立ったガーゴイルは、真っ直ぐにこちらを目指してきていた。
 竜ほどの早さはないが、『ドラゴン・デュ・テーレ』よりは十分に速い。追いつかれるのも時間の問題だろう。
 竜騎士にせよガーゴイルにせよ、フネにとっては厄介な相手だった。舷側に並んだ大砲は、あくまでも対艦戦と対地上戦を想定して搭載されている物なのだ。それに現在使われている船舶砲では、仮に竜を撃とうとしても目標に対する追従速度が遅すぎて高速で移動する相手は狙えない。葡萄弾と呼ばれる接近戦時に放って敵兵をまとめて殺傷する凶悪な散弾があるにはあるが、正直にフネを真横から襲うような相手はいない。
 この厄介さは、対空火器を持たぬ艦船と爆弾を腹に抱えた航空機の戦いに似ているかも知れなかった。竜騎士の駆る火竜は体力の続く限り火炎を吐くし、風竜は攻撃力こそメイジに依存するが速度は相当なもので生残性が高い。一方的な戦にならずに済むのは、メイジがフネにいた場合だけである。彼らが自身を防空砲座としてフネを守るのだ。
 だが、純軍事的でない側面から、リシャールには気付いたことがあった。
「艦長」
「なんでしょう、閣下?」
「空賊は、あのように高価な代物を使うこともよくあるのですか?」
「……国軍や貴族の持つ領空海軍ならば、竜の代わりに使うことはあります。
 ですがそんな贅沢な空賊、今まで一度も出くわした事がありませんな」
 あのガーゴイルは空も飛べるのだ。こめられた魔力も相当な物だろう。
 セルフィーユ家でも馬車の御者や屋敷の警備につかうガーゴイルならば、無理をすれば買えるかもしれない。
 彼らは疲れないし命令には忠実だ。使い手の指示だけでなく自己の判断で動くことも可能で、御者のゴーレムなどは行き先のを指示すれば屋敷の門扉が開くのを待ち、更には案内の従者の指示に従って車止めにぴたりと馬車を止めるような芸当もやってのける。
 しかし、実際には人を雇った方が安上がりであった。高価な魔導具の一種なのである。戦闘に正面から投入できるようなガーゴイルなど、値段の想像もつかない。
 ……つまりは高価なガーゴイルを三体も使えるような理由と背後関係が、目の前の空賊にはあることになるのだ。いや、空賊などではなく、どこかの私兵や軍の可能性まで出てきた。
「しかし閣下、それは後にしましょう」
「ええ、面倒事は全部終わってからの方がいいですね」
 ラ・ラメーと頷きあうと、リシャールは一歩下がった。今すべきことは別にある。
「余裕は二分というところです、艦長」
「うむ。……ようし、対空戦闘用意! メイジは全員甲板に上がれ!
 エクトル! ガーゴイルをフネに近付けさせるな!
 ビュシエール、砲は任せた! 貴様の判断で撃っていいぞ!」
「自分は下に降ります!」
 ビュシエール副長と入れ替わりに、士官だけでなく銃を持った水兵らが操舵所に駆け上がってきた。大砲では狙えないような速度と角度で突っ込んでくる竜騎士などには牽制も出来ようし、上手く当たれば乗り手を落とすこともできる。また、フネ同士が五十メイル百メイルといった距離ですれ違う至近の射撃戦や接舷しての切り込み戦では、甲板上の敵指揮官やメイジを狙うのだ。
 ただ、ガーゴイルには銃の威力から言えば大して効かないだろう。しかし、そこが彼らの持ち場だった。兵士とはそう言うものだ。対空砲かミサイルでもあれば良いのだろうが、ハルケギニアでは無い物ねだりに過ぎる。フロランもリシャールも、新型砲を造る時に話題にしたことはなかった。
 ラ・ラメーも杖を抜き放ち、構えを解かずにリシャールを振り返った。
「閣下も艦内へ!」
「いえ、自分は空に上がります!」
「いけません、お待ち下さい!」
 ラ・ラメーの声には、リシャールを引き留める力が篭もっていた。
「閣下は土のメイジ! 空では力が半減するどころではありませんぞ!」
「!!」
 逸る気持ちが先行して、失念していた。
 ここは空中、リシャールの持つ最強の戦力であるゴーレムが封じられているどころか、その他の呪文さえ唱えるのに苦労するはずだ。杖に魔法の刃を纏わせるブレイドなどは大丈夫だろうが、艦上での白兵戦はともかく空中には足場がない。
 地上では大地の土を媒体として比較的好き勝手が出来る土メイジも、空中では陸に上がった魚の如しである。
 人によっては得意とする系統を二つ三つと持っていたり、得意な系統ほどではなくとも十分に仕事が出来るように技を磨いている者もいたが、リシャールはほぼ土系統一辺倒だった。
 土に次いで得意な水系統もかすり傷の治療やちょっとした水魔法がせいぜいだったし、風の魔法も物を持ち上げるレビテーションと、アーシャに乗って長距離移動する時に軽くかけるエア・シールドだけは慣れたが、他は大して使えない。火に至っては基礎的な呪文がせいぜいで、『竈の火種か闇夜の蝋燭の代わりにはなるな』と苦笑ながらの父に太鼓判を押されている……。
 だが、何もできないわけではない。
 リシャールにはアーシャがいる。
 危険がないとは言えないし、領主たる自分が斃れでもすれば目も当てられないことになるが、分の悪い賭ではないと思えた。少なくとも、船の安全度は高まる。
 決意が伝わったのか、ラ・ラメーはリシャールの表情を見てため息をつくと静かに告げた。
「……閣下、せめて砲弾ぐらいはお持ち下さい。
 土魔法の種にはなります」
「砲弾!?
 ……! なるほど!!」
 空海軍にも土メイジなりの戦闘法があるらしい。
 確かに、投げつけるだけでも攻撃にはなる。高度差をつければ相当な威力になるはずだ。問題は目標がフネのような大きな物ではなく動きも素早いガーゴイルであることだったが、ないよりはましである。
 だが、もっと良い手があった。
 砲弾を土の代わりとすれば、ゴーレムは無理でもアース・ニードルの媒体としては十分に使えるのだ。

 少し冷静さを取り戻したことを自覚しつつ、リシャールは上層砲甲板へと駆け降りた。
「ビュシエール副長!」
「閣下!?」
「砲弾、貰っていきます!」
 ビュシエールの返事を待たず、十八リーブル砲の脇に備えられている弾庫から一発の砲弾を取り出す。
 だが、鈍い輝きをした鉛の塊は想像以上に重かった。直径十四、五サントの球形で持ちにくい上に、当然ながら重さは一つ十八リーブル、約八キログラム半にもなる。
 一発を両手で抱えて動き回るのは、小柄なリシャールでも十分可能だ。しかし、それを飛行する竜の上で片手には杖を握って魔法を唱えながらとなると、その一発が限度だった。
 何か鞄のような物か、せめて包める物はないかと見回したが、希望に添うような品はない。
 リシャールは僅かに逡巡して防寒用のマントを外すと、斜め二つ折りにして風呂敷のように結び目を作って首からかけた。空に上がれば確実に後悔するだろうが、今は寒さよりも時間が惜しい。
 弾庫から慎重に一発づつ取り出してマントに入れ込むが、三発目で首が痛くなってきた。無理にもう一発を詰め込むと、両手でおまけの一発を抱える。
 よたよたと走り出そうとするが、リシャールは最初の一歩を踏み出した途端にふらついた。レビテーションを自らにかけて浮揚するしかない。全部で五発、少々心許ないがこれ以上は無理だ。
 浮いたまま甲板に上がったリシャールは、そのままアーシャの首根っこにふわりと跨った。
「無理はせんで下さい、閣下!」
「はい、艦長!
 ……行くよ、アーシャ!」
「きゅい!」
 以心伝心……ではない。戦闘配置の発令からこちら、アーシャは操舵所の会話に聞き耳を立てていたはずだった。
 ばさりと翼を広げた彼女は甲板を蹴らないようにして右舷側からするりと空中に躍り出ると、ガーゴイル目指して一直線に向かった。
 目測でおよそ数百メイル。すぐそこまで敵は迫っていた。

「アーシャ、『震える息』は使える?」
「きゅ!」
 懐に土魔法の種たる砲弾を抱えてはいるが、アーシャの方が絶対に頼りになる。これは大前提だった。
 情けないとは思わない。悔しいとも思わない。
 家族やアンリエッタの安全と自分のプライドを天秤に掛けるような愚かな真似をしてはいけないことだけは、よく知っている。普段なら結果が総てなどと決めつける気にはなれないが、今ばかりは違う。
「行くよ!」
「きゅいいいいい!」
 すでに敵はこちらが相手と認識しているのか、編隊の針路を向けてきた。
 ガーゴイルは、必要な状況で作られてその場で使い切りをされるゴーレムとは違い、魔法人形として恒常的な使用を考慮された魔導具とも言える。命令を下してやればある程度自立的な行動がとれることも、大きな特徴だ。伝書に使われる小さなものもあれば、先日ロンディニウムの宝飾店で見た警備用のガーゴイルのような、店の内装に違和感無くとけ込めるよう造形が凝っていたりするものもあった。
 今目の前に飛んでいるのは、大きさも含めて完全に戦闘に特化したガーゴイルだろう。近づいてわかったが、身長も翼長も五メイル近くあるのではないだろうか。大きなかぎ爪が目立つ。
「リシャール、伏せて!」
「うん!」
 真っ直ぐに突っ込んでいくアーシャを引き留めず、リシャールは彼女の首筋にしがみついた。抱えた砲弾を抱くようにして、少しだけ顔をずらす。
 領軍相手の訓練などで、アーシャの『震える息』の実用的な射程は五十メイル内外、それ以遠だと急激に威力が落ちることはリシャールも知っていた。
 ガーゴイルの一体がリシャールらの眼前に迫る。かぎ爪をたわめてこちらを待ち受けているのが見えた。
 だが回避するには少々遅い。こちらには飛び道具があるのだ。
 アーシャの口が開き、リシャールが首をすくめる一瞬の間に『震える息』が吐き出された。
 狙いたがわず、正面から胴体に命中する。
 大きな音が宙空に響き渡り、爆散したガーゴイルの破片が飛び散った。相手が脆かったわけではない。アーシャの『震える息』は、そこそこ太い幹を持つ木々をまとめてなぎ倒すほどの強さがある。
 アーシャはそれをかすめるようにして大きく上昇した。
 銃弾程度ならはじき返すガーゴイルも、至近から浴びせられた『震える息』に耐える力はないらしい。これなら苦戦せずに済みそうだと、リシャールは胸をなで下ろした。
 それにすれ違いざまに残りの二体が攻撃をしてこなかったところを見ると、射程のある武器や魔法は持っていないらしい。こちらも少し気がかりだったのだ。

 アーシャはそのまま勢いを殺さず、大きな半径をとって旋回した。速度の維持は重要だ。敵のガーゴイルに飛び道具はないが、大きなかぎ爪は至近での戦闘を躊躇わせる。
「アーシャ、右!」
「きゅ!」
 『震える息』を警戒したのか、残りの二体は『ドラゴン・デュ・テーレ』を目指しながらもばらばらの方向へと向きを変えた。速度はアーシャほどではなくとも、小回りはきくようだ。
 リシャールの指示通り、右手に逃げた一体にアーシャは肉薄していった。左手の一体はこちらが追撃してこないと見るや、再び『ドラゴン・デュ・テーレ』へと向きを変えた。なかなかに手強いガーゴイルだ。……いや、使い手の指示かもしれない。おそらく、あの両用フリゲートに乗っているのだろう。
 ラ・ラメーらが頼りにならないとは思わないが、なるべく早くガーゴイルを排除して敵艦に一撃を与えたかった。リシャール達が手早く事を済ませれば、カトレアらがより安全になる。
 再び正面に目を向けると、アーシャはもう獲物を自らの正面に捕捉していた。
 ガーゴイルと視線が合うほどに近づく。敵の戦意を喪失させるためか、恐怖を煽りそうな造形をしているのが見て取れる。
 アーシャが『震える息』を吐こうとする気配がしたので、リシャールは伏せた。
「きゅいいいいい!?」
「アーシャ?」
 破壊音は聞こえず、代わりに情けない声を上げたアーシャが首を下方に向けていた。
 リシャールもそちらに視線を向ける。見ればガーゴイルは健在だった。『震える息』が避けられたのだ。
「真似られた!?」
 ラ・ラメー艦長が先ほど『ドラゴン・デュ・テーレ』の風石機関を一時的に止めて敵の砲撃を躱したように、ガーゴイルはアーシャを引きつけてから急降下したのだろう。左右に避けるよりも自重が乗せられる分、素早い回避が可能なことは深く考えずとも理解できた。
 なんとも知恵の回るガーゴイルだ。……いや、使い手が直接操っているのかもしれない。
「アーシャ、今度は僕も攻撃する!」
「うん!」
 高度を上げようとするガーゴイルに対し、アーシャは空中で鴨や雉を襲う隼のように再び狙いを定めた。リシャールも左手に持った砲弾に意識を集中し、右手でしっかり軍杖を構える。
 目標のガーゴイルはしっかりとこちらを向き、上下左右に軌跡を描いてこちらの狙いを外そうとしていた。
「先にやるよ!」
「きゅ!」
 リシャールは手に持った砲弾を錬金で鋭い魔法の槍に変え、アーシャが先ほど『震える息』を吐いた距離よりも少し遠くからそれを放った。
「アース・ニードル!」
 リシャールの魔法の槍は狙い惜しくも外れ、虚空へと消えていった。だがそれでいい。リシャールのアース・ニードルは牽制で、本命はアーシャだ。
 ほんの僅かな時間差で『震える息』がガーゴイルを襲う。
 リシャールの牽制で体勢は崩せたようで、今度はガーゴイルの左下半身をうち砕いた。成功だ。
「きゅい!」
「うん、もう一回だ!」
 完全には破壊しきれなかったガーゴイルが、恨めしそうにこちらを睨んでいる。魔法で動く自動の人形にそのような気分や気持ちがあるのかと問われれば、わからないことだらけの魔法のこと、リシャールには答えが出せない。
 だがこのガーゴイルを操っている相手は、少なくともリシャールらのことを鬱陶しく思っているに違いない。だがそれはお互い様だろう。こちらだって楽しい家族旅行のはずが、何故か寒空の上、懐に砲弾を抱えて空中戦の真っ最中なのである。文句の一つも言いたいところだ。
「きゅいいいい!!」
 リシャールは再び伏せる姿勢になって、アーシャにしがみついた。
 彼女には鞍をつけていない。しかし、こういうことが度々あるなら鞍は必要かも知れなかった。落ち着いたら彼女と相談してみるかと、リシャールは眼前に迫るガーゴイルを睨み付けた。
 再び狙いを定めたアーシャから傷ついて動きの鈍った相手が逃れられるはずもなく、轟音とともに残る半身を砕かれてガーゴイルは墜ちていった。

「もう一匹は!?」
「リシャール、あっち!」
 時間を無駄に出来ないと、残り一体のガーゴイルを追いかける。
 だがあちらも使い手に慣れが出てきたのか的確な指示を出しているらしく、先ほどよりも機敏な動きをしているようだ。ガーゴイルはゴーレムより自立性は高いが、使い手が同じように細かな指示を出して動かすことも出来た。巧者が扱えば同じものでも大化けするのは、戦争でも料理でも、その他の物事でも変わりない。認めたくないが、相手の方が一枚上手であるのは明白だった。
 リシャールとアーシャに対し、敵はガーゴイル三体。
 アーシャの『震える息』と速度を考えれば、戦力としてはこちらに軍配が上がるだろう。しかしリシャールはまともな実戦などこれが初めてで、アーシャも空中戦の訓練を受けたことなどなかった。
「アーシャ!」
「きゅい!」
 リシャールは懐から砲弾を取り出し、次発装填よろしく左手に持った。
 おそらく敵の使い手は、先の二体の撃破について状況を理解し、把握している。特に先ほどの二体目は、明らかにアーシャの『震える息』を意識して避けていた。
 こちらには奥の手などない。出来る工夫は、攻撃のタイミングを相手に読ませないことぐらいである。
 考え込むうちに、アーシャの正面のガーゴイルは視界の中で徐々に大きくなってくる。
 アース・ニードルを手早く準備したリシャールは、ガーゴイルの動きを注視して時を待った。
「きゅいい!」
 アーシャがぎゅんと加速すると、ガーゴイルは下方へダイブして逃げた。
 今度は距離を置こうとしているのだろう。絶対に逃がすわけにはいかなかった。追い払うだけで済ませては、またいつ再襲撃を受けるかわからないのだ。不安な要素は極力排除しておきたい。
「アーシャ!」
「きゅ!」
 リシャールの感覚ではほぼ直角に近い角度で、アーシャもそれに追随した。
 五十メイル、四十メイルとあっという間に距離が縮まる。
 浮きそうな身体をアーシャに押しつけながら、リシャールはアース・ニードルを発動させた。
 細く鋭い鉛の槍がガーゴイルの左上腕を差し貫き、肘から先がどこかへ飛んでいった。狙いが甘かったというよりも、上手く捌かれたようだ。
 続いてアーシャも『震える息』を吐いたが、こちらもかすめるに留まった。距離は近くとも、ガ−ゴイルの回避は的確だ。
「きゅるるるる……。
 リシャール、降りて!」
「降りる!?」
 業を煮やしたアーシャが、無情にもリシャールの排除を告げた。先ほどから必中の筈の『震える息』が外されて、頭に来ているのだろう。意外と短気なのかもしれない。
 だが、鞍もつけずに跨っているだけのリシャールは、アーシャにとっては間違いなくお荷物だった。急な加減速や旋回をすれば、たちまちリシャールは振り落とされるだろう。最初から乗らずにいれば良かったと思わないが、アーシャの動きの枷になっていることは自覚していた。
「気をつけて!」
「きゅい!」
 リシャールは杖を自らに振るい、アーシャから飛び降りた。何もない高空に一人浮いているのはあまり良い気分ではなかったが、今はそのような場合ではない。
 空の真ん中に取り残されながら、目で彼女を追う。
 アーシャは羽をたたんで落下に近い加速をし、あっという間にガーゴイルに追いついてその足首を掴むと、鬱憤を晴らすように零距離から『震える息』を吐き出した。かぎ爪を立てる間もなかったガーゴイルと共に、爆煙に包まれる。
「アーシャ!」
 視界を遮る爆煙が晴れると、遥か下方で掴んでいた足首を力一杯投げ捨てているアーシャが見えた。
 ……やはり、少々どころではなく頭にきていたらしい。

「アーシャ、お疲れさま」
「きゅ」
 大回りをしてリシャールを迎えにきたアーシャを労う。次は空賊の両用フリゲートだ。
 ふわっと彼女の首元に抱きついて、元の位置に納まる。
「次は空賊だけど……ごめん、アーシャ。
 何処にいるかわかるかな?」
 リシャールは、『ドラゴン・デュ・テーレ』の位置すらも見失っていることにようやく気がついた。空中戦で振り回された結果、位置を見失ってしまったのである。随分と引き離されたらしく下方を見ても海ばかり、辛うじてアルビオン大陸の影が見えるので東西南北だけは見当がつくが……。
「フネは上の方」
 比べるまでもなく、リシャールよりはアーシャの方が視力は優れている。
「リシャール、追いかけてきたフネが乗ってきたフネのすぐ近くにいる。
 くっつきそう」
「えっ!?」
 フネ同士がくっつきそう……つまり、接舷されかけているということだろうか?
 ラ・ラメー艦長は逃走を選択していたし、こちらから相手に仕掛ける理由もない。状況はわからないが、非常に拙いことになったことだけは間違いないようだ。
「リシャール」
「うん、急いだ方がいいと思う。
 アーシャは疲れてない?」
「大丈夫。
 それよりもカトレアとマリーが心配」
 アーシャが上空を見上げてフネの方へと向かっているが、リシャールには黒い点すら判別出来ない。数分も掛からなかったようだが、気ばかりが焦ってしまう。
 徐々に高度が上がっていくと、リシャールにもそれが見えてきた。
 魔法らしき光や、砲煙がわずかに見える。
「アーシャ、下から近寄って!」
「きゅ」
 見えてきた『ドラゴン・デュ・テーレ』は、三本あった帆柱のうち、一番前のフォアマストが消失していた。これは本格的に拙い。
 おそらくは、速度を喪って追いつかれたのだ。
 アンリエッタの確保が目的なのだろう、今のところ、『ドラゴン・デュ・テーレ』にはフォアマスト以外の目立った被害はなさそうだ。
 もう両艦の距離はほんの僅かだった。速度の差を考えると、リシャールがたどり着く頃には接舷しているかもしれない。
 こちらもかなり距離を詰めている。
 いくら下方の視界が悪いとは言っても、そろそろ気付かれてもおかしくはない。少なくとも、先のガーゴイルの使い手には、リシャール達がガーゴイルを下してこちらへと向かっていることは知られているはずだった。
 しかし『ドラゴン・デュ・テーレ』の安全を考えるならば、こちらが目立った方が良いぐらいだった。
 一度に二方向の敵を相手にするなとは父の教えだったが、同時に、敵にそれを強要させることは味方を利するとも教えられていた。奇襲にはならずとも、注意を引きつければ敵は二つの目標を相手に行動を選択せねばならなくなる。
「アーシャ、近づくとき……フネの後ろの高くなっているところに、手加減なしで『震える息』を吐いて!」
「きゅ!」
 操舵所に司令室、艦尾砲と、軍艦の後楼には大事な部分が集中している。指揮官が陣取っているのも大抵は後楼だ。同じ攻撃なら、少しでも相手が嫌がりそうな場所を狙うのがいい。
 一瞬だけ目をつむったリシャールは、もうひとつ決断をした。迷ってはいられない。悩むのは後だ。
「アーシャ」
「リシャール?」
「フネの影に入るようにして、下からこっそりと近づこう。
 それから追いかけてきた方のフネに無理矢理降りて、暴れるね。
 僕も飛び降りるから」
「うん」
「あと……『震える息』は、人に当ててもいいよ」
「わかった」
 ちらりとリシャールの顔色を窺ったアーシャは、それだけを口にして空賊のフリゲートを睨みつけた。
 渡り板は出ていないが、船体を寄せるかぎ縄が『ドラゴン・デュ・テーレ』に掛けられている。ぎりぎり間に合ったかも知れない。
 フネが目の前に迫ると、風の乗って聞こえる怒号や銃声も耳に入ってきた。
 ここはもう戦場なのだ。リシャールは再び懐から砲弾を取り出し、魔力を通した。
 開いた砲門から、敵乗組員の酷く驚いた顔が一瞬見える。
 アーシャは敵艦の斜め後方から躍り上がった。
 距離は十メイルもない。
「目標、乗り手! 撃てええええ!!」
 アース・ニードルを放とうとしたリシャールの視界には、膝立ちで銃を構えた数人の空賊の姿が写った。
 まずいと思う間もなく、轟音と共に痛みが走る。

「いかん! 閣下ああああ!!」
 受けた銃弾の衝撃でリシャールが仰け反り、同時にアーシャが敵艦の後楼に『震える息』を叩きつけるのがラ・ラメーの視界に入った。







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