ハルケギニア南船北竜 第八十二話 ゼロの使い魔 ハルケギニア南船北竜 第八十二話「船長候補」  無事に銀行との契約を終えたリシャールは、礼金を受け取ってほくほく顔のフェヌロン卿を送り出してから、セルジュと相談の上で、製鉄所の拡張と同時に輸出する鉄材の増産を決めた。 「最近は僅かながら鉄の売れ行きが良い方に傾いておるんで、わしも助かるよ。  まあ、強気な値付けを出来るほどに好調でも困るんじゃが……」 「戦争になると、商売どころではありませんよね?」 「うむ、その通りじゃ」  始まるまでは実にいいんじゃが、と付け加えるセルジュの商売っ気に苦笑する。鉄どころか銃砲を作っているリシャールは、更に大きな影響を受ける筈だった。  死の商人などという言葉もあるが、今更である。感覚が麻痺しているというよりも、現実がそれを凌駕していると悟るには十分な時間をこちらの世界で生きてきているのだ。 「わしとしてはだな、リシャールくんが量を増やしてくれるなら、二倍でも三倍でも取引には応じるつもりじゃよ。  今の状況ならば、尚更のう。  石炭にしても、ハーフェンからの船積みでセルフィーユへは直接降ろせるからの、費用の問題よりも手間の問題なんじゃが、陸路の長距離輸送がないだけでも相当に楽なんじゃよ」  現状では、四組の炉が作り出す鉄材は月産約八万リーブル、四十トン弱で、この内の八割ほどがセルジュへと引き取られ、一割弱が刃鋼へと加工され、残りがディディエの鍛冶工房で民生品にされる。  リシャールとセルジュの間で取り引きされる鉄材の価格は、互いに相手が相手だけに、どちらも損得しすぎないようにと気を配った結果、卸値は相場に基づいた標準的なものになっていた。概ね一リーブル当たり二十スゥ前後だったが、今月は二十一スゥと十ドニエである。総額で約一万三千エキューほどの取引となるが、この中には石炭や石灰などの材料や船賃も含まれていたから、実際に支払われる金額は八千エキューほどになった。 「うちとしても助かりますよ、セルジュさん。  最近は何かと物入りで……」  道路工事組の労働者を一部製鉄所建設の方にまわし、その後希望者には製鉄に従事して貰うのが無難だろうか。鉱山の方も人手を増やしたいところだ。現場には宿舎も用意しているが、セルフィーユから離れるにつれて、妻帯者からは不満の声も聞こえていた。  仕事の内容は大きく変わるが、新規の募集よりは手間が省けるし、ラマディエ付近に住んでいるのであれば自宅から徒歩で仕事場に通える。少々遠いが、無理をすればドーピニエ以外の村からでも通勤は可能だろう。通勤時間に合わせ、こちらで馬車便を用意してもいいほどだ。  道路工事の進みは僅かに遅れるが、極端に大きな影響はない。当初は予定になかった土メイジが工事に加わったことで、費用こそ余計に嵩んでいたが、予想を大きく上回る進捗状況を見せていた。 「ともかく、商機は逃さないことじゃな」 「ええ、もちろん」  アルビオンの内乱とその後の艦隊再建なども含め、ハルケギニアの各地から聞こえくる騒乱は、当事者ではない商人にとっては、逃すには惜しいチャンスでもあった。  戦争や騒乱による影響は、軍需物資である鉄や銃砲を直接扱うリシャールらだけではなく、糧秣の基本となる麦や、軍服となる布製品など、おおよそ世間で流通している商品全てに出る。例えば美術品や宝飾品などは一見関係がなさそうに見えるが、切り崩して投資に当てる者もいればそれを目当てに買い漁る者もいたし、火事場泥棒よろしく戦場から盗品市場に物が動き、さらにそれらが正規の市場に流れ出るといった具合に、商品は活発に動き出す。  恨まれない程度には儲けを出しておきたいものだと、リシャールは口に出さずに呟いた。フネ二隻の代価は、少しでも回収しておきたいのだ。  交渉後、リシャールはすぐにセルフィーユへと舞い戻った。  帰城する頃には真夜中になっていたが、城の一角だけは夜でもそれなりに賑やかだ。乳母役の女性達やお世話係に任じられた夜番のメイドが交代で起きているし、カトレアもなるべくマリーの寝起きに合わせていた。  おかげでアーシャの上で寒さに耐えていたリシャールにも、帰城すぐに温かい飲み物が出てくるのである。 「お帰りなさい、リシャール」 「ただいま、カトレア、マリー」  王都に向かう前と変わらぬ様子の二人に安心し、リシャールは笑顔を向けた。幾ら赤ん坊の成長が早いとは言っても、二、三日で見るからに大きさや姿が変わるわけではない。  もぞもぞと手足を動かすマリーと、彼女をあやすカトレアに、そっとただいまのキスをする。  マリーの頬にキスをしても嫌がられなくなったのは、格段の進歩だろうか。そう言えば、自分も両親にはよくされていたかと思い出す。  親愛のキス等と言うと外国映画のようで気恥ずかしくあったのだが、文化的には西欧のそれと似たようなものだろうと、既に疑問にも思わなくなっていた。人が見ているときに限っては、リシャールも自然と『いただきます』の代わりに食前の祈りを始祖に捧げたりするようになって久しい。 「それで、王都ではどうだったの?」 「ああ、うん。  概ね予定通りだったかな」 「そう、よかったわ。  お父様がしっかり者だから、マリーは幸せね」  戯けてマリーをあやすカトレアに、どうだろうなあと口に出すわけにもいかず、リシャールは肩をすくめるにとどめた。  カトレアには見抜かれてはいても、せめてマリーの前ではいい格好をしていたいのだ。  それが父親たるものだと思っているし、リシャールはその為の努力を惜しまないと決めていた。    翌日からリシャールは、様子を見ながら庁舎での仕事日を少しづつ減らし始めた。マリーの傍らにいたいから……というわけではなく、城に籠もって錬金鍛冶に精を出すためだ。  庁舎の方も、仕事を任せてよい人間が増えていた。二週間の外遊でも予定の不在であれば、極端な仕事の滞りなどないことは確認出来ている。ましてや領内に居るのであれば、慌てることはない。至急の書類は馬車便に乗って届くし、必要ならば指示も出せる。何かあればすぐに動けばいいのだ。  庁舎の方でも新たに建設の担当者を置いて、街道工事だけでなく領内の工事全般について任せることにしていた。最初の仕事は、空中桟橋の改修と、本格的な空港の建設だ。製鉄所の方は、厳密な区分こそしていないもののラ・クラルテ商会の持ち物なので、リシャールがフロランに指示すると共に、土メイジとして直接現場に出向いて仕事をした。  港にある簡易空中桟橋は、立地は良いのだがどう頑張っても二隻までしか接舷できない。リシャールの手持ちのフネを係留すれば、それでしまいになってしまう。それに補給や荷の積み卸しは出来ても、構造上、風石機関を止めて整備を行うことは無理だった。規模が大きくなってしまうことについては少しばかり悩みもしたが、フネの運用に伴う必要経費として諦めるしかない。  そのフネの方も、ようやく船長を捜し始めたところだった。条件は緩めてある。商船船長、もしくは空海軍で士官以上の経歴があることとし、ともかく運用を始められる状態に持っていくことにしたのだ。当初考えていたリールとの往復だけならば、荷物と旅客に対しては定額の運賃を取るだけで、船長には商売の経験がなくてもよかった。本格的に商業航海へと出すならば、別に主計長を用意すればいい。  そしてフネの代価となるマスケット銃の増産は、本格的に移行しつつあった。試作こそ続けられているものの、残念ながら大砲の生産は四リーブル砲を数門造ったところでうち切られたし、短銃も生産を大きく縮小している。以前にフロランが言ったように、銃の生産に傾注して稼がざるを得なくなった訳だ。  それでもウェールズの前で甘く見積もっておいてよかったと思うのは、工場の機械や工具の数から、マスケット銃の生産量が平均して日産十丁が限度であったことだ。アルビオンで口にしたのは月産百丁だが、休業日もあれば機械の整備に仕事の手を止めることもある。運転資金にも少々不安があったし、工員にも無理はさせられない。仕事に手慣れた彼らこそが、利益を生む原動力になるのだ。  当のリシャールはと言えば、売れ行きを気にしつつも、『亜人斬り』だけでなく、先日から作り始めたサーベルに長剣や短刀に斧槍、鉄兜に胸甲に小手と、作れる物を万遍なく作っていた。多少なりとも品揃えが豊富な方が店の売り上げにも好影響を及ぼすし、同じ物ばかりを作っていては飽きが来るのが早いのである。  唯一何の心配もなく順調なのは、マリーとカトレアぐらいだろうか。産まれてふた月弱、そろそろ寝返りをするかもしれないと乳母たちは口を揃えていたし、カトレアも多少疲れはあるようだが、健康と言い切って差し支えのない状態であった。  そのようにして、冬が身近に感じられる今年最後の月が訪れる頃には、庁舎に出るのは週に四日、残りは城の鍛冶場で精を出す忙しいながらも平穏な日々を過ごしていたリシャールだった。  その今年最後の月の二番目の週である、ウィンの月フレイヤの週。 「え、船長が見つかったのですか?」 「はい、先ほどラ・ロシェールより手紙が届きました」  その日は週明けとあって、リシャールは庁舎で仕事をしていたが、マルグリットが直々に手紙を持って現れた。受け取ったリシャールは読み進めたが、ラ・ロシェールの口入れ屋から届いたその手紙には、船長候補の簡単な略歴なども書かれている。 「……これは、どうしたものかなあ」  書かれている略歴自体に、不審はない。立派なものだ。  十五で士官候補生としてフネに乗り、以後三十年以上に渡ってトリステイン空海軍に奉職し、フリゲートを皮切りに二等戦列艦の艦長までを勤め上げた後、今年の夏に定年を迎えて退役。再就職先を探していたというよりも、フネから降りたくなかったことが理由であるらしい。口入れ屋によれば、十年に一人もこんな人材は出てこないと太鼓判を押してある。  年齢は老齢と言って差し支えないが、そこは大して問題ではない。経験を積んだ人間が年を食っているのは当たり前で、その点は最初から折り込み済みだ。  リシャールを悩ませたのは、その名前である。  手紙に書かれていた船長候補の名は、アレクサンドル・フランシス・ド・ラ・ラメー。  先日僅かながらに会話を交わした、トリステイン空海軍の司令長官と同じファミリーネームでは、悩まざるを得ないと言うものであった。  それでも、蔑ろに扱うわけにも頭ごなしに断るわけにも行かないので、リシャールは丸一日かけてラ・ロシェールへと向かった。向こうで何かあっては困るので、数日前にはジャン・マルク他数名が先行している。  帰りには一度王都へと寄り道をして、可能ならばマザリーニと話し合いを持ちたいところであった。定期的に連絡はやり取りしているが、ご機嫌伺いをしておいて損な相手ではない。  幸いにしてと言うべきか、マザリーニは教皇とはならなかった。代わりに歴代でも有数の年若い教皇が誕生したらしいが、クレメンテにも予想外の人物だったらしく、吉凶どちらともつかないようだ。  考えることは多い。アーシャから話しかけられても、半ば上の空である。  船長の名から、ラ・ラメー家は海軍軍人の一族なのではないかとは想像をつけられたが、本家が伯爵家という以外はよくわからない。調べてから会えればいいが、そのような時間もなかった。  ともかく、上流の貴族やその一族を部下なり臣下なりに持つことは、リシャールにとっても扱い辛いことこの上ないと想像がつくのだ。  現在、セルフィーユ家やラ・クラルテ商会で雇われている全ての人々は、平民か、名を捨てて平民になった元貴族ばかりであり、身分差は歴然としていた。いくら内心に反発があろうとも、リシャールが目に余るほどの馬鹿な命令を下さない限りは、彼らも自分の生活と天秤にかけるほどのことはしない。  それにリシャールの方でも、サボタージュや農民乱などの内憂を警戒していたから、理不尽な要求はしていなかった。借金の返済が滞ることを何よりも恐れた故だが、余計なことに手を取られたくはない気持ちもある。  しかし、相手が上流貴族では、大きく話が違ってくる。  例えば、ラ・ヴァリエール公爵やアルトワ伯爵に対する自分のように、互いに一家を持つ身でも、縁戚であったり、完全に上下の関係が定まっていたりする場合はむしろ単純な図式が出来上がる。しかし、そうでない場合は、それこそ千差万別であった。本人同士の立ち位置や年齢経歴だけでなく、縁戚の力関係などもそこに影響を及ぼす。  自分のことを棚に上げていることは、リシャールにも分かっている。相手だってやりにくいはずだ。  結局、実際に会って、リシャール自身が見極めるしかない。 「きゅー?」 「ああ、うん。  大丈夫だよ、多分ね……」  心配するアーシャを軽く撫でて、リシャールはジャン・マルクらが待つ筈の宿屋へと向かった。  『女神の杵』亭は、ラ・ロシェールでは一番上等な貴族向けの宿屋である。単なる私用なら、以前に泊まったような平民向けのそこそこの宿屋で十分だったが、貴族の客を迎えることになるので、このあたりも気を使わねばならなかった。 「リシャール様、遠路お疲れさまです」 「ご苦労様、ジャン・マルク殿」  敬礼を向けるジャン・マルクらに軽く手を挙げ、テーブルへと向かう。  今回の旅程には、城の警備隊からジャン・マルク含めて三人の兵士と、城勤めから従者が二人派遣されていた。アルビオン行とは違い、今回は男性ばかりである。  彼らは律儀にも、一階の酒場でリシャールを待ってくれていたようだ。テーブルにはワインと酒肴が並んでいて、同席の従者などはリシャールを気にしながらばつの悪そうな顔をしているが、そのあたりの裁量はジャン・マルクに一任してある。いい加減な仕事をされても困るが、四六時中緊張を解かずに任務に当たることもまた問題が大きいことは、リシャールもよく知っていた。到着日も今日と限っていたわけではないから、目くじらを立てるほどでもない。匙加減はそのうちジャン・マルクが教えるだろうと、頭を切り換える。  リシャールもウェイトレスに声を掛け、同じ物を注文してテーブルについた。 「早速ですが、口入れ屋のヴァンサン氏には、数日内に直接リシャール様がこちらに来られることは話してあります。  後で誰かを走らせましょう。  お相手の船長候補殿もラ・ロシェールには居られるそうですから、連絡の翌日にはお会いできるそうです」  ハルケギニアでは遠距離で約束事を果たす場合、当然ながらなかなかに骨の折れることになるから、面談の予定はリシャールが到着以降としか決めていなかった。  今日のところは、のんびりと出来そうである。  次の朝、昼前にはそちらをお訪ねすると、ヴァンサンよりの返事がもたらされた。  宿に会食の用意など予約し、リシャールもそれらしい格好に着替えて待つことしばし。口入れ屋らしい上物の衣服を付けた四十絡みの男と、老境の貴族が現れた。 「子爵閣下、私がご依頼を受けましたヴァンサンに御座います。  そしてこちらは、空海軍で名艦長として知られたラ・ラメー卿でいらっしゃいます」 「アレクサンドル・フランシス・ド・ラ・ラメー、只今出頭いたしました」  敬礼をするラ・ラメーに、まだ貴方の上役になると決まったわけではないのだけれど、と内心で突っ込みながら右手を差し出す。 「リシャール・ド・セルフィーユです、ラ・ラメー卿。  この度は、お話を聞いていただけるとのこと、感謝いたします」 「……お若いな」 「ふふ、そのうち二十歳にも三十路にもなりますよ?」  若い幼い小さいは事あるごとに言われ続けているので、切り返しにも慣れが出てきた。同じ年頃の年若い領主ならば顔を真っ赤にして怒るだろうかとも思うが、二度目の少年時代ともなれば心にも余裕が出来る。本当にこちらを舐めている故なのか、様子見に口に乗せたかの違いぐらいは、口調以外の態度から類推することはそう難しくない。  そんなリシャールに面白みを覚えたのか、握手をしたままのラ・ラメーもにやりと笑って続ける。 「確かに。  ……いや、失敬。  私も候補生だった頃は、閣下と同じ様な年回りでしたな」 「はい。  ……いえ、こちらこそ席も勧めず失礼を。  どうぞおかけになって下さい。  ああ、もちろんヴァンサン殿もどうぞ」  意外と大丈夫そうかなと、リシャールは改めてラ・ラメーを観察してみた。醸し出す迫力だけならば、義父と並べても見劣りしないほどの堂々とした様子で、一地方諸侯の持ち船を任せるには過分な大物かもしれない。  彼の態度を見て一つ気付いたが、空海軍ならば平民の上官を持つこともあるのだ。『子供子爵』と大差ないかどうかはさておき、こちらが礼と分を守って無茶を言わない限りは、彼も同様に職分を守りそうである。彼のことは一般的なトリステイン貴族と見るよりも、一般的なトリステイン空海軍軍人として見るべきかも知れない。  三人が席に着くとすぐ茶杯が用意され、経歴などを確認しながら互いの条件を確認していく。  こちらはフネこそあるが、それ以外の全てがないことも正直に話した。 「契約金は常識の範囲内であれば構いませぬ。  ただ、小官は身体が動かなくなるまでは、フネから降りたくはないのです。  偶然にも、閣下はその機会を私に下さった。  それさえ約していただけるならば、小官は全身全霊を以て閣下に忠誠を誓います」  リシャールは、武器工場のフロランが『ゲルマニアに負けない大砲を作る』と言い切った時の表情を少し思い出していた。目の前の老人も、夢追い人の一人なのだろうか。 「ラ・ラメー卿は……フネが、空がお好きなのですね?」 「人生そのものであります」  誇らしげなラ・ラメーに、リシャールも頷き返す。  決まりだった。  翌日リシャールは、早速ラ・ラメー船長を伴って軍港へと足を向けた。  実際にフネを見て貰わねば、決められないことも多い。ラ・ラメーも自分の任されるフネのこととあって、大乗り気であった。 「話自体は幾つかあったのですが……誇り高き我がラ・ラメー家の名前こそがそれを邪魔するとは、フネを降りるまで思いもしませんでしたな」  ラ・ラメーの方でも、再就職には苦労があったようだ。  経歴も能力も十分ながら、家柄も立派すぎて商船の船長には間違っても指名されず、さりとて自前でフネを用意できるわけもなかったのでと苦笑いされる。  フネの船長職は技術職でもあったから、貴族が平民に雇われる場合もあった。表向きは家屋敷の工事に土メイジを雇ったり、病を癒すのに水メイジを頼んだりするのと同様、『我らには無理な事なので、経験と見識に富んだ貴族様の慈悲にすがり、謝礼を支払う』という形にはなっている。  だが、幾ら腕が良くて経験豊富でも、商人たちは流石に遠慮するだろうなとリシャールも思った。もしも、自分も商人時代に上級貴族の親族を雇わないかと聞かれたならば、躊躇することなく遠慮しただろう。 「ああ、運良く二隻とも港にいるようです」 「あちらの二隻ですかな?」 「はい、大きい方が『ドラゴン・デュ・テーレ』号、小さい方が『カドー・ジェネルー』号です」  以前にラ・ロシェールで見送られた時と変わらぬ姿で、その二隻は係留されていた。甲板上水兵が走り回っている。帆柱にも人が取り付いている姿が見られるから、出航するのだろう。  近かった方の『ドラゴン・デュ・テーレ』号に足を向け、自分の持ち船だからと気軽に見学を申し入れると、リシャールの事を見知っているのか、渡り板を護っていた衛兵はすぐにグラモン艦長を連れて戻ってきた。 「子爵閣下、お久しぶりでありま……す!?」 「……グラモン艦長?」  グラモン航海長改めグラモン役務艦長は、リシャールの隣に立つラ・ラメーをまじまじと見つめて言葉を失った後、慌てて直立不動の姿勢をとり敬礼をした。  二人の顔を見比べ、どうも知り合いらしいとあたりをつける。グラモン艦長の額に冷や汗が流れているのを、リシャールは見逃さなかった。 「久しぶりだな、グラモン『候補生』。  貴官もしばらく見ぬうちに出世したようで、何よりだ」 「はっ! ラ・ラメー艦長のおかげを持ちまして!」  グラモン艦長は、敬意と共に若干の恐れを含んだ表情で声を張り上げた。なるほど、新任候補生時代の艦長ならば、この態度も仕方ないだろう。 「『ドラゴン・デュ・テーレ』号はどうか?」 「すこぶる快調であります!」 「よろしい。  後ほど詳しい話は聞かせて貰うことにするが、年明けより私がこのフネを任せて貰えることになっている。  ……大事に扱えよ?」 「も、もちろんであります!」  ラ・ラメーはにやりと笑って頷き、グラモン艦長の肩を一つ叩くと艦内を見学に向かった。 「さあ閣下、参りましょう」 「はい、ラ・ラメー『艦長』」  昨日話した折に、空海軍時代のラ・ラメーがフネに乗り続けるために十数年間も昇進を断り続けたと聞き、フネと空を人生そのものと言い切った彼の言葉に偽りがなかったことを再確認したリシャールは、態度だけでなく、中身も提督級の実力の持ち主であったのかとため息をついた。  再就職にも苦労するはずだと、リシャールはラ・ラメーの背中に目を向ける。諸侯である自分でさえ素直に従ってしまいそうになるのに、そりゃあ雇いたいなどと思う商人など居ないはずだと思う。  従卒よろしく艦長と、そしてリシャールをも引き連れているその姿に、少々早まったかと思わないでもない。フネに乗せていれば上機嫌と言った単純な男には見えないし、つけた手綱を捌ききれるかどうか、今ひとつ自信が沸かないのだ。  ……どうか乗り逃げだけはされませんようにと、始祖に祈りたいところであった。