ゼロの使い魔 ハルケギニア南船北竜
挿話その十四「二人のシェフィールド」




 深夜、人目を避けてアルビオン各地から小さなガーゴイルがこの屋敷へと飛来するのは、そう珍しいことではなかった。昼間に旅人を装った運び屋が同じ様な書簡を届けに来ることもあったが、昨日は一体、一昨日は二体といった具合にかなりの頻度でその小さな配達人はやってくる。
 ガーゴイルが運ぶ書簡の内容は、多岐に及んでいた。
 隠語や暗号を駆使して書かれた国家中枢の機密に関わる内容のものもあれば、酒場の噂話を集めたような平文のものもあったが、それら全てがこの屋敷の本当の主、シェフィールドの元へと集まるようになっている。
 彼女の表向きの身分は、今はまだ秘密裏に活動を行っている貴族連合『レコン・キスタ』の盟主、オリヴァー・クロムウェルの秘書であった。
 今日集まってきた情報は、軍内部の人事異動、アルビオン南部の市場価格の推移、バーネット港のフネの出入りについて記されているものだ。大して興味を惹くような内容ではないが、彼女は丁寧にまとめ上げると、そのうちの重要なものに命令を書いた紙をそえた。これらは一度クロムウェルの手元を経てから、彼の指示としてレコン・キスタを構成する各貴族の元へと送られる。
 特定の情報を集めるのならば、実は彼女自身が動いた方が早い。彼女はこと魔導具に関しては、他の追随を許さない異能の持ち主であった。これらを利用すれば秘密裏かつ迅速に、詳細な情報を手にすることが出来るのだ。
 しかし、彼女がレコン・キスタの為に動くことはなかった。結果的にレコン・キスタを利することはあっても、それはあくまでも余録である。彼女の額にルーンを刻んだ主人の言葉以外、真の意味で彼女を動かすことなど出来ないのだ。
 ただ一つ例外があるとするならば、彼女に興味を抱かせる存在や情報が、彼女の内にある何かを刺激した場合であった。
 例えば、たった今新たに運ばれてきた情報などは、それに値するかも知れない。
「『トリステイン王国アンリエッタ王女、偽名にてロンデイニウムに滞在中なり』、ね。
 ……この札はどう使ったものかしら?」
 主人であるジョゼフからは、彼女に対して細かな命令は下されていなかった。『余を楽しませよ』という最上位の命令が満たせるなら、少しばかりの逸脱が問題になることはない。
 シェフィールドは、書簡に記されていた随員の規模や滞在予定のあらましをしばらく眺め、血を吸わせれば人を複製できる魔法人形、スキルニルを取り出した。そのまま躊躇うことなく自らの指先に小さな傷をつけ、血を垂らす。
 スキルニルはシェフィールドの姿となり、余人には見分けがつかなくなった。容姿だけでなく、口調や能力、癖等も完璧に複製される魔法人形なのだ。
「では『ミス・シェフィールド』、手はず通りに」
「ええ、『ミス・シェフィールド』」
 しばらくして、夜闇に紛れるようにして屋敷を出たシェフィールドの指には、普段はクロムウェルが身につけているアンドバリの指輪が光っていた。

 屋敷に残った方のシェフィールドは、クロムウェルへの要望書という名の命令書をいくつか追加してから屋敷を出た。
 そのまましばらく歩いて港にほど近い一角にある貸倉庫に入っていく。ここは、レコン・キスタに名を連ねているさる貴族お抱えの商人が借り切っている倉庫だった。
 もっとも、そのままでは人払いもなにもあったものではないから、公然と姿を見せることが出来ないスターリング侯爵が物資の集積や取引のために利用していると、組織内部には説明が為されている。
 シェフィールドにとっては傀儡人形も同然のスターリング侯爵が借り物をするなど、実に皮肉な笑い話以外のなにものでもなかった。
 一度は死んだと噂された侯爵が復権も行わぬままに暗躍するのは、チューダー王家に対する復讐心であろうと、彼の生存を知る貴族達は噂した。だが、レコン・キスタの為ならばと、彼が私財をなげうって尽力する様は、逆にこの叛乱、いや『革命』が成功するのではないかという信憑性を与えたほどだった。それまでの吝嗇で計算高い侯爵を知る貴族達からすれば、この投資は回収出来るものと見えたのだ。もちろん、シェフィールドの情報操作や他の傀儡の言動もあってこそだが、元からチューダー王家に対する反感の大きい者を選んで同志を増やしていた影響もある。日の当たらぬレコン・キスタなれば、それらしい嘘は面白いほどに信用された。
「シェフィールド様、ようこそ」
「先月届いた大きい方の木箱は何処?」
「右手の奥です」
 倉庫入り口の事務所にいた男に、シェフィールドは挨拶もせず用件だけを告げた。この男も傀儡だった。人目があるか、気分が乗っているならば別だが、彼女は道具に挨拶をするようなことはしない。スターリング侯爵とは別に甦生させた元船乗りだったが、その点には意味はなかった。
 シェフィールドは静かに倉庫へと入った。一辺四メイル程もある大きな木箱が全部で四つ並んでいる。
「……」
 彼女はその内の一つの前に立った。無言のまま木箱を封じている魔法印に手を置くと、その額に刻まれた古代語文字が薄く光り、三と数えないうちに封印が解けて印が消えてゆく。
 しばらくするとくぐもった音が中から響いて上蓋が外れ、内側からのっそりと大きな手が現れた。石のようにも、金属のようにも見えるその手には、身の丈に相応しい鉤爪がついている。
 そのまま立ち上がったそれは、赤い目を僅かに光らせてシェフィールドを見下ろした。飛行型のガーゴイルだ。しかも明らかに雑務や警備に立ち働くものではなく、戦場で使われる形式のそれである。
 彼女は軽くガーゴイルの状態を確認すると、一つ頷いて次の箱に手を伸ばした。
 その作業を繰り返すこと四回。
 シェフィールドはそのうちの一体に自らを抱かせ、残りを従えて南の空へと消えていった。

 翌日深夜、先に屋敷を出た方のシェフィールドは、魔導具で心を縛った風竜を乗り潰してロサイスへと到着していた。強行軍だったが、彼女の顔に疲労一つ浮かんでいないのがかえって不気味だ。
「……とまあ、トリステイン王女のロンディニウム滞在は以上のような予定らしいわ。
 これに関連する情報は何かあるかしら?」
 借り切りにしている雑貨屋の二階で今彼女を囲んでいるのは、商店主とその従者、酒場の給仕、港の係官、それにアルビオン空軍の士官だった。
 彼らは皆、ガリア本国の諜報組織に所属する密偵や工作員である。現在はレコン・キスタ支援の為に、一時的にシェフィールドの指揮下に組み入れられていた。
「はい、半月ほど前からですが、ここからラ・ロシェール、そしてゲルマニアに向けて航路で、トリステイン空海軍の警戒が厳しくなっております。
 なるほど、南西航路の海賊対策の一環ではなく、王女の件が理由でしょうな」
 空軍士官の言葉にシェフィールドは頷いた。
「おそらく、間違いないわね。
 そうそう、『プワゾン』はどうなっているかしら?」
 問われた商店主は、自信ありげに告げた。
「はい、現在、『ヴェリテ』号は人員、装備ともに八割は整っております。
 予定通り、月末にはダータルネスに向けて送り出せます」
「次のフネは?」
 これには酒場の給仕が答えた。
「本国からの連絡では、二隻目は来月初旬には回ってくるそうです」
「そう。じゃあそちらも『ヴェリテ』と同様に手筈を調えて頂戴」
「了解しました」
 シェフィールドは一度話を切って、部下達を見回した。使える手札は内密な王女の外遊、『ヴェリテ』号、ガーゴイル、そして『わたし』。
 それを瞬時に並べ替える。
「新たな命令を伝えるわね。
 先ず『ヴェリテ』号のダータルネス回航は中止。
 海賊の振りでもして、ロンディニウムから帰る途中のトリステイン王女を襲わせましょうか。
 成功すれば良し、失敗しても……アルビオンとの関係にひびでも入れば上等かしらね?」
「アルビオン領空内の事件でしたら、責任の所在は問うべくもございませんな」
「『レコン・キスタ』が旗を揚げた時、アルビオンはトリステインに援軍を求めづらくなりましょう」
 シェフィールドは持ち込まれていたガリア産のワインに口をつけた。アルビオンの酒事情は評判通りで、蒸留酒は美味だがワインは今ひとつだった。
「大凡の襲撃位置はこちらで決めておくわ。
 アルビオン、トリステイン両軍の哨戒部隊の情報だけは、少し急いで。
 それから、明日『わたし』が到着するから、後は彼女に従って頂戴」
「了解いたしました」
「それから、これは別件。『ロイヤル・ソヴリン』の動向にも目を向けておきなさい。
 乗員の召集や艤装の調達具合から就役の時期が絞り込めるようにしておきなさい」
 シェフィールドは『ヴェリテ』号に案内するよう港の係官に命じ、残りを解散させた。

「良い感じね?」
「はい、艦齢は十五年と経っていないはずです。
 こちらには元の艦名さえ知らされておりませんので、推測でしかありませんが……」
「情報の統制は上手く為されているようね。
 それぐらいで丁度いいわ」
 港の商船埠頭の外れに着いたシェフィールドは、後楼の中央にあるプレートに『ヴェリテ』 と名が記されているフネの側まで来ていた。同行する係官は、麻袋に隠したアルビオン空軍の軍旗を携えている。
 ロサイス港に届けられたフネの名はガリア語で真実を意味する『ヴェリテ』 だが、それ以前は大方長ったらしい軍人の名か、戦跡の地名でもつけられていたに違いないだろうと、シェフィールドは決めつけた。使い潰される予定のフネは、彼女の興味を惹くほどではない。
「船長はどんな人物かしら?」
「元海賊です。
 今回の任務を条件に、一命を保証されたようです」
 シェフィールドは船着き場に設けられた階段を昇りながら、『ヴェリテ』号を見上げて曖昧に微笑んだ。

 この『ヴェリテ』号は、書類上では船齢三十年の払い下げフリゲートを商船として使っていることになっていた。
 だが実際には、新造艦への更新で余剰となり、本来ならば僚艦と共に国内の貴族や小諸国へと払い下げられる予定だった艦齢十四年の両用フリゲート『ル・テリブル』号を、ガリアの諜報組織が秘密裏に有する商会が取得して『ヴェリテ』としたものである。自衛用以外の武装を取り去ってアルビオンへと渡った『ヴェリテ』は、ロサイスでアルビオン空軍からの検査を受けて船籍を登録した。この時点では自衛用の火器として十二リーブル砲六門のみを有する商船でしかなく、書類上でも何ら疑いない。
 だが次の段階には、かなりの手間暇をかけられた。
 『プワゾン』……毒と名付けられたこの作戦は、正規の商船として大手を振ってガリア本国からやってくるフネより、貸倉庫を経由して目立たないように僅かづつ大砲や弾薬、乗組員を運び込む作戦である。
 元から舷側に砲門を持ち、性能も良い払い下げの軍艦ならばある程度は警戒されるが、船倉から甲板上に大砲を引き出して撃つようなフネが大半の商船では、例えば、十門ある大砲のうちから一門二門の砲が消えていても気付かれない。同様に、五十人いる乗組員が数人消えたところで、誰も気にはしなかった。船客とその荷物なら、消えるのは更に簡単である。
 平行してガリア・トリステイン国境付近の空賊騒ぎを隠れ蓑に、襲われたことにしてフネを丸ごと船籍簿から消してはレコン・キスタへと送り込む作戦の準備も行われていた。だが、こちらは旗揚げ後に作戦を本格化させる予定であったし、ロサイスのような都合のいい場所に戦力を置けるわけではない。
 更に『ヴェリテ』は係留されたまま航海に出ておらず、臨検についても、先年の叛乱が響いてロサイス港の処理能力も落ちていたから、警戒の対象からは外されていた。アルビオン空軍も一時よりは力を取り戻しつつあったが主力艦隊の再建が急務とされ、そのしわ寄せは警備艦隊や港を圧迫しているのだ。
 この細々とした補給を繰り返すこと都合十数回、港に対しては風石機関の調子が悪いのでドックに入れて大修理をしたいが、船主が金策中の為にフネが動かせないと言い訳を続けてきた『ヴェリテ』は、往事に近い十八リーブル砲二十門、十二リーブル砲十門を装備する立派なフリゲートの姿を取り戻していた。

 四半刻と時間を取られることなく、シェフィールドは必要な作業を終えて『ヴェリテ』号を降りた。この為に彼女は急遽ダータルネスから出張してきたのだ。
 艦長だけは面倒でも一度殺して、その手に光るアンドバリの指輪で新たな命を吹き込む必要があった。この後やってくる『わたし』が理不尽な命令を下すに当たって、土壇場で裏切られる不安を残したままでは些か都合が悪い。
 それに、エルフの秘薬を利用して心神を破壊する方法では、ロサイス沖、アルビオンの領空内ぎりぎりでアルビオン艦を装ってトリステイン籍の商用フリゲート『ドラゴン・デュ・テーレ』号を襲撃し、アンリエッタ王女の身柄を押さえよなどと云う繊細な命令は実行不可能だった。単なる破壊活動や、見えている敵に向かわせるには秘薬の方が使い勝手もよいのだが、代わりに理性などは消えてしまうし命令の変更などは受け付けない。ガリア本国では、シェフィールドの報告を受けて新たな魔法薬が開発中であるが、今日明日に間に合うようなものではなかったから、彼女自身がアンドバリの指輪と共に出向かねばならなかった。
「あのお方は、楽しんで下さるかしら……」
 武装の大半を降ろした商用フリゲート一隻に対して、装備と補給が十分に用意された海賊に加えて『わたし』が直卒する戦闘用ガーゴイル四体。
 ……少なくとも、襲撃自体が空振りに終わることだけはないでしょうね。
 成功か失敗かはトリステイン王女の運次第と、必要な手配を終えたシェフィールドは、ロサイスを引き上げた。

 更に明けて翌日、引き連れてきたガーゴイルをロサイス近郊の森林に隠したシェフィールドは、普段はアルビオンに向けている配下の魔法人形や連絡員を再配置して『ドラゴン・デュ・テーレ』に対する警戒網を張り、自身は『ヴェリテ』の船室で水晶球を見張っていた。
 『ヴェリテ』の方も、大凡の準備は整っている。多少は訓練された砲員のみならず、怪しげな連中で構成された切り込み隊も用意し、船主役の商店主の方はフネをならず者に乗り逃げされたと、いつでも港の事務所に通報する準備が出来ていた。
 ガリア本国やゲルマニアへの影響まで考えれば、フネ一隻でアルビオンとトリステイン二国間の関係を悪化出来るのならばかなり安い買い物である。レコン・キスタも多少は恩恵に預かろうし、どこを切っても損はない。
 早ければ明日。遅くとも、一週間はかかるまい。
 彼女は静かにその時を待つことにした。









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