ゼロの使い魔 ハルケギニア南船北竜
第八十五話「領空海軍」




 無事アルトワに寄港してセルフィーユへと戻ったリシャールを待っていたのは、頭の痛い問題だった。
 船員らが住む住居は、多少空きが出ていた集合住宅でしばらくは我慢して貰うことで大きな混乱こそなかったものの、空港を含めた領空海軍の維持費がこちらの予想を大きく超過して、毎月四千エキュー余りという金額になると判明したからだ。
 得られる利益も大きいと分かっていても、そりゃあ自前で軍艦を持つ諸侯は少ないはずだなと、現実を目の前に突きつけられた気分である。
 決めたはずの覚悟が揺らぎそうになったが、ここまで来ると後戻りは出来ない。
 アルビオンの内乱に影響を受けた風石の価格高騰も無視できないが、船員の給与、特にメイジの比率が予想外に高かったことが主要因である。近海航路に就航させることで多少は回収出来るにしても、全てをフネだけで回収するのは無理がありそうだった。
 他にもメイジの全員ではないが、配下に加えた貴族士官に対しては、ラ・ラメーを筆頭に主従の誓いを交わした。今後も余計な出費は覚悟せねばならないし、いざ王命による従軍などとなった場合には、リシャールが全てを肩代わりすることになる。中には夫婦者だけでなく、ラ・ロシェールに見切りをつけ、一族を引き連れてセルフィーユへと引っ越してくる予定の者まで居た。
 今はラ・ラメー艦長を城に招き、領空海軍のあり方について相談を重ねているところだった。
 これまでは二隻のフリゲートについて、平素は商船として運用し、有事にのみ軍艦として使えればよいかと考えていたのだが、ラ・ラメーからは反対の意見を出されている。マルグリットにも参加して貰いたいところだったが、彼女はリシャールらと交代して年始の休暇に入っていた。
「しかし閣下、二隻共に完全な商船とするのは得策ではないと、小官は考えますぞ。
 特に一番の問題点は、リールやセルフィーユだけでなく、トリステイン北東部にはまともな空海軍戦力がない、ということであります。
 せめて一隻だけでも、純粋な軍艦として常時動かせる状態にしておくべきですな。
 無論、この二隻を閣下の仰るように商船に仕立て、空海軍から常時軍艦を派遣させる手も、ないわけではないですが……」
「はい。
 ですが、領内に空海軍の軍港を持つのは正直気を使いますし、軍艦の常駐にしても費用が嵩みますからね。
 その案はちょっと賛成できません」
「でしょうな」
 ラ・ラメーの言葉には説得力があった。いや、経済的な問題を解決出来るなら、こちらもその方がよいと思っているから分が悪い。無理をすれば何とかなりそうな金額であると言う点が、決断を躊躇わせていた。
「現在でも月に二、三度ではありますが、ラ・ロシェールやロリアンからはトリステイン北部からゲルマニアにかけての海域にも、航路警戒の為の軍艦が出て海上を往復しております。
 しかし、ここ暫くで状況が変わってきたのです。
 こちらに来る前に少し調べてみましたが、最近はセルフィーユだけでなく、リールに寄港する船も増えていますな。
 通行量が増えれば、当然ながら空賊海賊はそちらに足を向けるわけですが……」
「はい、かなり前で、その上空賊ではなく海賊の話になりますが、セルフィーユ周辺の航路でも、近海とは言え非武装では航行できないと聞いたことがあります」
 いつだったか、ベルヴィール号のブレニュス船長からそのことを聞いた覚えがある。
 だが、元空海軍軍人であるラ・ラメーの口からも同じ言葉が出るのであれば、この問題はリシャールが考えているより深刻なのかも知れない。
「もう一つ、現在、ラ・ロシェールからガリアにかけての航路では、海賊狩りが行われております。
 ……最悪の場合、逃げた海賊が獲物を狙う矛先をこちらに変える可能性もありますぞ」
「ああ、そのような話もありましたね。
 義父が渋い顔をしていました」
「ほう、閣下の義父殿は空海軍の軍人であられたのですか?」
 興味深そうなラ・ラメーに訂正を入れる。
「いえ、海賊討伐の費用を負担するようにと、王政府から義父に要請がありまして、私も話だけは知っているのです」
「なるほど、失礼を。
 話を戻しますが……小官はその点も考慮して、可能ならば早期にフネを仕立て上げておくべきかと、元部下や同僚に声を掛けたのです。
 ……泥棒の論理と申しましょうか、こっちの赤い金庫には十枚の金貨、あっちの青い金庫には見張りがいる代わりに百枚の金貨。
 見張りを殴り倒せるほど腕っ節に自身があるか、頭数が多いならなら青い金庫に手を出すでしょうが、そうでないなら赤い金庫に手を出しますな。
 内実は砲を降ろした中古のフリゲートでも、領空海軍の発足を大々的に知らしめてやれば、しばらくは牽制できます。
 見張りがいるぞと教えてやれば、躊躇もしましょう」
 ラ・ラメーの例えをかみ砕くと、青い金庫がラ・ロシェール、赤い金庫がセルフィーユ、見張りはトリステイン空海軍であろうか。赤い金庫には、現在見張りがいない。
「実際の話ですな、閣下」
「はい?」
「現状の、砲の大半を降ろした『ドラゴン・デュ・テーレ』でも……まあ、酷いことにはなるでしょうが、一隻二隻の海賊ならば小官がなんとかします。
 老人ばかり目立つ乗組員ですが、それだけの面子は揃えて参りましたからな」
 軽い口調で言い切ったラ・ラメーだが、意外に真面目な表情であった。
 現状、月々四千エキューの負担はきつい。可能なら二隻とも商船に仕立て上げて、僅かでも回収したいところである。
 しかし、航路や領空の安全度を上げることで、セルフィーユの都市としての信用の度合いが上がれば、有形無形の様々な利益が得られることも間違いなかった。
 『フネを使えるようにしてくれ』とのリシャールの希望は、確かにかなえられているし、領空海軍としても発足早々から十分に機能するだろう。王都からアルトワ経由でこちらへと戻ってくる時にも、リシャールは何ら問題を感じなかった。確かに多くは老人だが、彼らは皆経験を積んだ巧者だ。若者はこれから育てていけばいい。
 ここはフネを商船としてでなく軍艦として使えるようにした、ラ・ラメーの作戦勝ちであった。
「決めました。ここは艦長のご意見を通すことにしましょう。
 『ドラゴン・デュ・テーレ』は軍艦として、『カドー・ジェネルー』は商船として使います。
 ああ、『ドラゴン・デュ・テーレ』は私用に使うことも多いと思いますので、考慮に入れておいて下さいね?」
「はい閣下、お任せ下さい」
 方針を決めてしまえば、後は早かった。
 『カドー・ジェネルー』は主に定期船として使い、余裕があれば多方面に足を伸ばすこと、『ドラゴン・デュ・テーレ』はリシャールが私用に使わない時は、セルフィーユ付近を巡回もしくは航路の警戒に当たることなどが決められた。
 細かな内容については、運用に無理がないかどうか暫く調整を行うと共に、領軍とも連携してより強固な体勢を目指すことを前提にしている。曖昧に過ぎるが、今の段階ではこれ以上決めても無意味だった。

 年始の休暇が明けると同時に予定通り忙しくなったリシャールは、庁舎にて采配を振るっていた。その日の内に帰宅できるだけ幾らかましだが、庁舎の方は税の徴収に手を取られていたし、製鉄所、武器工場、領空海軍はの方はそれぞれに忙しい。
 先ほど、去年より少し遅れて出し終えた年初の布告には、感謝祭の予告や徴税などの細々とした触れの他にも、マリーの誕生についての正式な報告や、領空海軍の創設なども盛り込まれた。
 下旬になればどこも落ち着くだろうが、それまではリシャールも含めて皆が忙しく立ち回ることになる。
 製鉄所は五組目の炉が完成して製鉄も行われ始めていたが、今度は鉱山の採掘量が頭打ちになってきている。募集はかけたが、場合によっては周辺地域、或いはゲルマニアから鉱石を輸入することも考えておかねばならない。利益の率は落ちてしまうが、多少は収入を補えるだろう。
 武器工場の方は、順調にいけば来月中旬には注文を受けたマスケット銃の生産が終わりそうだったが、工員の給与の支払いには苦慮しそうな気配が濃厚だ。年末にかけて作りためた武器防具を、小売りを諦め王都でまとめて売却することで補うしかないだろう。こちらも利益は減るが、給与の遅配などは以ての外だった。そこさえ乗り切れば後は波に乗れるはずなので、ここは我慢のしどころである。
 そして、領空海軍についてだが……。
 一切をラ・ラメーに任せているが、今は二隻を領地の内外へと派遣して、詳細な航路の設定や運用の最終確認に入っている。ラ・ラメーからは、王政府に働きかけてゲルマニアへの寄港許可と国内での私掠許可証を得たいと上申があった。
 前者は実質商船であっても貴族私有のフネが国外へと頻繁に出る場合には許可を得ておいた方が問題が減ると諭され、後者は万が一海賊空賊を拿捕した場合に、得られる財貨に雲泥の開きがあるので、申請費用を考えても絶対に『損はさせない』と断言されてしまった。丁度西の方が荒れておりますので、なんなら出稼ぎに出ましょうかと真顔で問われる始末である。
 可能ならば領空海軍の増員も行いたいと言われた時にも、現状でも二隻の乗組員に空港要員を加えれば合計で百二十名と領軍に倍する人数であり、粘られた末に新規の募集は本年中に水兵二十名までに限ると許可を出してしまっていた。老兵ばかり多いことを逆手に取られて、次代の育成には力を入れなくてはならないと説き伏せられてしまったのである。
「領空海軍の予算は現状最大で月に四千と少しまで、そのあたりが限度かな。
 他で補いをつけないと、どうしようもないけど……」
 今更だが、ラ・ラメーは本気で空賊海賊を狩るつもりなのだ。確かに年単位の視点で見下ろせば損はない。セルフィーユ周辺の安全度を高めることで、商人も領民も、ついでにリシャールも治安に関して余計な心配が減るだろう。性急に過ぎる点だけが、少々困りものなのである。
 それでもこの老艦長からの意見や上申は、何もリシャールの悩みを増やすことばかりではなかった。
 例えば、セルフィーユとリールを結ぶ定期便についてなどは、王都トリスタニアを終着にしてはどうかと意見が出されている。砲を陸揚げする前でも高速艦に分類されていた『カドー・ジェネルー』の速力は、週に一便の定期航路を維持しつつ、更にアルトワやラ・ロシェールと往復してもまだ余裕があると、報告書には記されていた。
 当初予定していたものとは違うが、これもまた、考慮に値するものであった。

 さて、『カドー・ジェネルー』については大凡の運用方針は固まったが、もう一隻の『ドラゴン・デュ・テーレ』については、リシャールの意見がラ・ラメーを悩ませることとなった。
「生け簀、でありますか……?」
「はい、生け簀です」
 ラ・ラメーは微妙な顔つきになっていたが、これは是非とも引き受けて貰わねばならない。
 商売にはならなくとも、切り札の一つに出来そうなのだ。

 リシャールは以前から、なんとか鮮魚を売りに出せないものか考えてはいた。幾度かの船旅や取引、歓待などを通して利益になりそうだとは分かっていたし、氷漬けにした魚を維持する水メイジと竜篭などの従来型の輸送手段を用意できても、大きな購買力が見込める大都市への販路に食い込むことがなかなかに難しい。
 諸々の心付けに約束事などを遵守したところで、新規に参入する業者へは風当たりも厳しい筈だった。目新しさもなく、その分うま味も大したことはない。これならば、素直に油漬けを卸す方がまだましである。
 しかし、扱う品が同じ魚でも、『鮮魚』ではなく『活魚』であればどうだろうか?
 幸いにして、少々大きな水槽を設置しても大丈夫な上に足の早いフネも手に入ったし、一番遠い訪問先と思われるアルビオンでも距離にして数日である。
 魚の種類にもよるが、水槽を大きくして入れる数を少なくしてやれば、余計な設備はなくとも元から一日やそこらは生きているのだから、それを少しでも長くしてやればいいのだ。
 取り外しもしくは分解の出来る水槽に、リシャールでも製造できる程度の簡単な浄化装置と曝気の為の水車かポンプ、それに魚の活性を押さえる為の対策、これらがあればよいだろう。恒久的に飼うわけではないから、それほど複雑な仕掛けは必要ない。費用もリシャールの小遣い程度で済むはずだった。錬金鍛冶の数日分で十分に購える。
 ただし、重要な問題が一つ残されたままになっていた。
 鮮魚を都市の市場に送り込んだところで、メイジと竜篭もしくはフネで運ばれる『鮮魚』とこちらの提供する『活魚』で、どの程度の差別化が出来るのか計りかねていたのである。設備の投資やフネの運航、生け簀の運用に関わる費用を全て飲み込んだ上でそれなりの利益が得られなければ、単なる珍品か色物で終わってしまう。
 味の差ほどに価格差が出せるのかと自問自答すれば、極端な話、駅馬車で港町へと旅行に出かけて食べる方が安上がりになりそうな気もするのだ。主要な消費者と思われる貴族や金持ちの平民には、それを選択する余裕がある。
 それでも、例えば海から遠い場所で先日の園遊会のようなものが催された場合などに活魚を届けることが出来れば、かなりの評価が期待できそうだった。色物の部分を、逆に強調してやるのだ。
 
「具体的には、大き目の水槽とちょっとした装置、あとは水のメイジが同行出来れば大丈夫な筈です。
 ああもちろん、『ドラゴン・デュ・テーレ』に搭載する前に試作と実験を行います。
 水の入れ替えや魚の出し入れが少しばかり面倒になると思いますが、それほど難しいことを行うわけではありません」
「はあ……」
「来月末、アルビオンへと行く前にはものにして見せますから、そのつもりでいて下さいね」
 狐に摘まれたような顔をして退出したラ・ラメーを見送り、リシャールは試作品の製造に着手すべく、手配を開始した。

 昼間は執務で潰れ、帰宅後も錬金鍛冶に時間をとられと、合間に見にいくマリーの顔を楽しみにしながら、リシャールは作業を進めていった。
 無論、ラ・ラメーに告げたように、そう難しい事をするわけではない。だがここで手間を掛けておけば、後で楽が出来るのだ。
 そんなこんなで少ない時間をやりくりし、月末近くになってようやく試作品が完成した。出来上がった生け簀は相変わらず『夏休みの自由研究』の域を出ないが、工作慣れしてきたのか、多少は使い勝手だけでなく見栄えにも気を配れるようになったと胸を張れる出来だった。
 水槽はいくらか試行錯誤した上で、結局樽を作る職人に注文を出すことにした。最初、鉄材で補強した二重の板張りの隙間に発泡スチロールを挟み込んで、保温に優れた特別製の水槽を作ろうとしたのだが、強度を保たせようとすれば想定以上の重さになり、軽くすれば強度が足りずと、自分の力だけではどうしようもなくなったのだ。最終的には薄板を張って内張りや蓋に利用することに決めたが、リシャール自身が同行する場合のみに使用を限ることにした。今現在のような気温の低い冬場はあまり効果がなかったし、伝家の宝刀たる発泡スチロールの使用を見破られ、模倣される危険性を重視したのだ。
 大きさは直径二メイル高さ一メイル半ほどの桶型で、中身が空であれば数人で十分に動かせる。かつて『ドラゴン・デュ・テーレ』が搭載していた二十四リーブル砲よりもかなり小さいので、余裕をもって船内に出し入れできる大きさだ。もちろん、魔法を使えば中身入りでも移動できるから、目的地で荷馬車に乗せかえてもいい。
 水に空気を送って曝気させるのには、風車と連動して動く水車を取り付けた。風車は開放された砲門を通して船体から突き出す形になっていて、シャフトで動力を伝えて水車を回す。停泊時は微風故に動きが鈍くなるが、風車を取り外してクランクで手動出来るようにもしてある。
 風石を使った空気を送る魔法装置などは、マジック・アイテムの知識がないリシャールには無理でも、王都の錬金技師に依頼すれば用意することも出来そうではあった。しかし同時に、回収の見込めそうにない代金を要求されると予想できたから、今回は見送っている。
 浄化装置も、実は装置と名を付けるほどの複雑なものではない。底を金網で覆った木箱に、下から順に小石、砂利、砂、木炭の粉を配した原始的な浄水器である。鮮魚店の水槽にあるような本格的な浄水器ではないし、数日保てばいいと割り切っていた。桶で中身をすくって上から水を落とし込むのは人力だが、数日であればそうそう頻繁に行う必要もないだろうし、何よりフネへの積載を考えれば重量は少しでも軽い方がいい。活性炭と普通の炭の違いは知らなかったので、いつも鍛冶仕事に使っている炭を使ったが、効果が薄いようならいっそ取り外しても良いだろう。
 本当は水質の調整やアンモニアの除去なども出来ればいいのだが、言葉は知っていても仕組みがわからなかった。アンモニアなどは適当な酸で中和してやればよいことまでは分かるが、レモン汁やワイン酢でも大丈夫なのかは予想もつかないし、その他の部分となるともうお手上げだ。熱帯魚用の水質調整剤など、せめて現物があれば錬金出来たかもしれないが、流石に無い物ねだりに過ぎた。
 生け簀の最初の試作品は海岸にあるラ・クラルテ商会の加工場へと運ばれ、数匹の魚を入れて実用に耐えるか試験している。
 後は同じ物を数組用意して、魚の種類ごとにどの程度保つのか試す必要があったが、実験の実作業や記録は商会の担当者に委ねられており、既にリシャールの手を離れていた。

 帰宅後はのんびり家族と過ごすのが、日々の楽しみである。
 月の終わりには忙しさも一段落ついたが、今度は新たなアルビオン行きの準備をしなくてはならない。七百五十丁のマスケット銃は、あと二週間ほどで揃う予定だ。リシャールが甘く見つもったのかフロラン以下工員達が気合いを入れたのか、微妙なところである。綱渡りに近いが、年始の税収や錬金鍛冶、それに領地の雑収入をかき集めることで、製造費用はどうにか間に合わせることが出来ていた。
 しばらくは武器工場の方も銃主体の生産体勢を継続して、金庫が空に近いセルフィーユ家の財務状況を立て直すことが決まっている。
「ただいま、カトレア、マリー」
「あー」
「おかえりなさい、リシャール」
 居間の扉を開けると、いつものように二人にキスをしてソファへと腰掛ける。
 リシャールの元にも、メイドによってすぐに湯気の立つ茶杯が運ばれてきた。冬場の騎乗は、短距離であってもやはり寒い。
 暖炉にはコークスがくべられ赤々と熱を発している。暖炉にはマリーのために鉄鍋が吊され、湯が沸かされていた。部屋の空気が乾燥して喉や鼻を痛めないように、気を使っているのだ。
「そうそうリシャール、何日ぐらいセルフィーユを離れるのかしら?
 往復だけなら十日ぐらいとは聞いたけれど、他にも決まった予定はあるの?」
 カトレアは、抱えたマリーに笑顔を向けながらリシャールへともたれ掛かった。今度の旅行には、カトレアとマリーも同行する。
 少々危険があっても『ドラゴン・デュ・テーレ』なら逃げ切れるだろうし、最悪、マリーとカトレアだけをアーシャに乗せて送り出すことも出来るだろう。内憂も落ち着いてきたようで、ここ暫く、アルビオンについての暗い噂話はリシャールも聞いていない。
「そうだなあ、順調にいけば十日と少しかな。
 ウェールズ殿下にマスケット銃をお納めすればそれで済む話ではあるけれど、エルバート殿にも挨拶はしたいし、ジェームズ一世陛下のお膝元で素通りというわけにもいかない、と思うんだ」
 リシャールはマリーに指をつかませてあやしながら、トリスタニアの王城にもアルビオン行きを知らせておく必要があるかと考えた。
 姫殿下からの手紙を預かっていけば、ウェールズにはこれ以上のない手土産になる筈だ。それに、後からアンリエッタにアルビオン行きが知れると、某かの言い訳をせねばならなくなるような気がする。
「準備はヴァレリー達に任せておけばいいとは思うけど、カトレアの方で希望があるなら早めにね?」
「ええ。
 ……そうだわリシャール、お父様たちへのお土産、何が良いかしら?」
「お忍びでロンディニウムの街に出て、そこで探そうか。
 トリスタニアに負けないぐらい色々なお店があったよ」
 旅先でのあれやこれやを口にするカトレアの肩を抱き寄せたリシャールは、家族一緒に旅行しようと約束したことを思い返していた。
 ようやく、希望が叶うのだ。






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