ハルケギニア南船北竜 第八十四話
ゼロの使い魔 ハルケギニア南船北竜
第八十四話「年始の王都にて」


 去年は急遽知らされた結婚に大慌てだったなと、リシャールは王城で行われる年始の祝賀会へと向かう馬車の中で昨年を振り返っていた。何も知らされずに王都へと出てきて、右往左往する余裕もなく結婚式に臨んだのだ。
 今年、ブリミル歴六二四〇年がどのような一年になるか、それはまだわからないが、のんびりとした一年であって欲しいと願わざるを得ない。
「よいしょ」
「あら」
 隣に座ってマリーをあやすカトレアに、軽くもたれ掛かる。防寒用のフードのついた冬用のお出かけ着のおかげで、そのままの姿勢では愛娘の顔が見えにくかったのだ。
 もちろんカトレアにも新たなドレスを贈ったが、こちらは作りためた武器防具の一部を売り払うことで費用を捻出していた。見栄を張るのも一苦労だが、カトレアだけでなく周囲に対しても、甲斐性のあるところぐらいは見せておきたい。
「あー」
 マリーは今、人の顔が分かるか分からないかという、赤ん坊から子供への第一歩を踏みだそうとする時期にさしかかっていた。きちんとリシャールの方も向いてくれる……こともある。
「マリー?」
「あう」
 少なくともカトレアのことはなんとなく理解しているようだが、四六時中そばにいるわけにもいかないリシャールの方は、まだ認識されているのかどうか微妙なところであった。
「今日は機嫌良さそうだね」
「ええ。
 竜篭でもそうだったけれど、マリーは馬車も好きみたい。
 動いているから楽しいのかしら?」
「どうだろうなあ。
 ゆりかごだと普通だったよね?」
「そうね。
 ……どうしてかしら?」
 自分のフネがセルフィーユへと到着したら、早速マリーを乗せてみようと決めたリシャールだった。

 少し早めに王城へと着いたリシャール達は、予め用意して貰った控えの間にヴァレリーらとともに入り、マリーを任せて会場へと向かった。流石に赤子連れで入場するわけにはいかない。
 一応、すれ違いがあっても良いように、親族やアルトワ伯、ギーヴァルシュ侯ら親しい人々や、万が一お忍びでアンリエッタ姫殿下やマリアンヌ王后が訪ねてきた場合には部屋に通し、マリーの顔を見て貰えるようにと言い残してある。……意外とお転婆な姫殿下でもあるし、ルイズと連れだって先に来る事もありそうだと想像がついたのだ。
「少し、緊張するわね」
「まあ、僕も少しばかりは緊張してるよ。
 カトレアを連れて公式の社交の場に出るのは、初めてだからね」
 贔屓目なしで、本気で前よりも美人になってるよなあと、改めてカトレアを上から下まで見つめてみる。もう血色も普通の人と変わらぬし、マリーが産まれてからは、娘らしさが抜けた分色っぽくなったような気がする。
 それに以前よりずっと健康そうで、心配をしたような産後の体調不良もなかった。出産直後の心配が無駄になったことで拍子抜けしたほどだが、こちらにも理由もあった。
 アーシャの見立てによれば、授乳によって水の精霊の欠片がカトレアからマリーへと移っているのだそうだ。
 余りに下世話な疑問ながら、やはり心配を優先させておくべきかと、尿や汗などで抜け出たりするようなことはなかったのかアーシャに恐る恐る聞いてみたが、精霊はそういうものではないらしい。
 今現在は、二人共に良い状態にあるのは間違いない。水の精霊が抜け出るカトレアはともかく、受け入れているマリーの方が少々心配でもあったが、そちらの方も問題ないとアーシャは頷いていた。
「セルフィーユ子爵家リシャール様、カトレア様御入来!」
 呼び出しが聞こえ、ふっと息を吐き出す。
「お手をどうぞ、奥様?」
「はい、あなた」
 リシャールが差し出した腕に、カトレアはそっと手を絡めた。

 会場は去年と大同小異の様子ではあったが、開会すぐとあってなかなかに親しい人物も見つからなかった。マリーに何かあっては困ると、早めに来すぎたのが裏目に出たらしい。
「まあ、今はのんびりしよう。
 マリーのところへは、休憩を兼ねて時々戻ればいいかな」
「ええ、そうね」
 興味深げに会場を見回すカトレアに、微笑んでみせる。
 王家の二人もまだ会場入りには間があったから、カトレアと二人、デート気分で会場を散策することにした。
 時折振り返られたりもするが、概ね男性であったため、カトレアが注目されているんだろうなあと想像がつく。
「セルフィーユ子爵閣下!」
「はい?
 おっと、お久しぶりです、グラモン艦長!」
 声を掛けられた方に振り向くと、軍装ではなく正装に身を包んだグラモン艦長がいた。握手を交わしてから気付いたが、彼の後ろには、顔立ちのよく似た兄弟と思しき二十代から十代に見える男性が三人居る。
 だが艦長も含め、彼らグラモン家の面々は、リシャールと一緒に振り向いたカトレアに視線を釘付けにしていた。
「……あー、こちらは妻です」
「カトレア・イヴェット・ラ・ボーム・ル・ブラン・ド・セルフィーユですわ、グラモン家の皆様方」
 見惚れさせるほどの美人を妻にしていることを喜ぶべきか、はたまた、寄るな間男と手厳しく抗議するべきか。
 にっこりと笑顔のカトレアに鼻の下を伸ばし、我先にと争うように自己紹介をする彼らに、せっかくの色男伊達男が台無しだなあと、内心で苦笑する。
 当主である伯爵は後ほど夫人と共に会場入りするとのことで挨拶はできなかったが、グラモン伯爵家はリシャールも結婚式で紹介された元帥号を持つ当主を筆頭に、代々軍人を輩出してきた名門の貴族だった。四人は兄弟で、先日世話になった次男のグラモン艦長は空海軍だが、長男と三男は陸軍に籍を置いているそうだ。父伯爵は夫人と共に、あとで会場へと来るそうだ。
 四男のギーシュだけは軍務に就いていなかったが、彼はリシャールと同い年であったからこれは仕方ない。近い将来士官学校か魔法学院へと進み、その後軍人への道を歩き始めるのだろう。
「それにしても、閣下がこれほどの美人を隠しておられたとは……」
「うむ、なんともお美しい!
 大輪のバラも霞んでしまいそうですな」
「兄上の仰る通り、このように美しいお方には、絵姿でもまずお目にかかることなど……」
「セルフィーユ子爵閣下、このギーシュめにも美人を口説くコツを是非ともご教授下さい!」
 上に行くほど多少は落ち着いた様子ではあるが、四者四様ながら、彼らはどこか似通った雰囲気だった。グラモン艦長も、航海中に見た堂々とした姿はどこへやらである。
「そうでした、子爵には申し上げねばならないことが……」
「……フネの方で何かありましたか?」
 アルビオンからの帰国後には、彼ともう一人、クープラン役務艦長が回航したそのままにリシャールのフネを引き受けてくれていた。空海軍への貸し出しは、年末までとの約束になっていたから、もう今はラ・ラメーの指揮下に入っている筈だ。
「いえ、個人的に御礼を申し上げたかったのであります。
 両艦ともに再整備後、ラ・ラメー艦長へと無事引き渡されました。自分も立ち会っております。
 それで、当然自分は役務艦長の職を解かれたのですが……春に就役するフリゲートの艦長に内定いたしまして。
 これも閣下のお引き立てのおかげであります」
「うわっ、それはおめでとうございます!」
 得意げな顔のグラモン艦長に、こちらも笑顔を浮かべる。
「私だけではありませんよ。
 クープランの奴も正規の艦長へと任官しますし、フーレスティエ艦長も戦隊司令官へと正式に任じられました。
 副長は『クーローヌ』乗り組みのままですが、栄転するフーレスティエ艦長の後がまで、『クーローヌ』の艦長におさまるそうです」
 きっかけはリシャールの依頼だったかもしれないが、結果的には艦長らにも役得はあったようだ。いや、運航費用だけでフリゲ−ト二隻を訓練に使えたのであるから、空海軍にも利益は出ているか。
 どちらにせよ、無事にフネの引き渡しも終わったようで、一安心である。

 休憩ついでに愛娘の様子を見に戻ったり、挨拶を交わしたアンリエッタ姫からは必ず後でマリーを見に行くからと力の入った言葉を貰いと、慌ただしさこそないものの、祖父らへの借財の返済なども含めて幾つかの外せない用事を片づけ、リシャールもようやく肩の荷を降ろした。
「……あれじゃあルイズも、声をかけづらいだろうなあ」
「お仕事の邪魔は出来ないものね」
 職務の遂行中であったワルド子爵などは、リシャールも会釈で済ませている。今年は彼の率いるグリフォン隊が、会場の警備に当たっているようだった。
 去年は義父の後ろにくっついていたが、今年については、祖父らは別格としても、事前に外せないと考慮した幾人かの有力貴族やカトレア側の親族へと挨拶に向かったぐらいである。あとは会場で見かけた顔と名前が一致する人物、例えば園遊会にてゲルマニアと結ばれた街道の協約で同席したアントルモン伯爵、セルフィーユから街道が延びているリールの代官トゥルヌミール男爵などに声を掛けたぐらいだろうか。
 逆に、リシャールが声を掛けられることも、園遊会の時よりは多くなっていた。やはりラ・ヴァリエールの娘婿という看板は、それなりに大きいらしい。
「過日はきちんとしたご挨拶も出来ず、大変失礼いたしました、モンモランシ伯爵様」
「いや、あの状況では仕方あるまいよ」
 今向かい合っているのは、先日の園遊会でアンリエッタ姫のお忍び騒動に際して、毛染めの魔法薬を調合したモンモランシ伯爵である。こちらから口には出せないが、お忍びの裏方という同じ仕事に関わったことのある相手であり、リシャールは多少共感を持っていた。
「伯爵様、大変ご無沙汰しています」
「カトレア嬢……いや、カトレア夫人もすっかりお元気になられたようで、お役に立てなかった私としては、些か申し訳ない気分でもありますな」
「いいえ、伯爵様も含め、皆様のおかげですわ。
 皆様が『少しづつ』わたしを治してくださったものと、感謝しています」
 モンモランシ家は魔法薬学の大家として、トリステイン中にその名を知られる名家でもある。
 カトレアの治療に携わったことがあるようで、伯爵もリシャールらの結婚式には出席をしていたし、カトレアともそれ以前から顔見知りのようであった。伯爵の口調に差があるのは、その現れであろう。ぽっと出の新興貴族の若造と諸侯中でも重鎮と呼ばれる家の娘では、夫婦でも扱いが変わるのも無理はあるまい。
「そういえば、お子がお生まれになったそうで?」
「はい、可愛い女の子ですわ」
 リシャールは会話を半ばカトレアに任せ、相槌を打つ程度に控えていた。
 添え物扱いは、リシャール自身が一旗あげない限り一生変わらないかもしれないが、今更に過ぎた。そんなことで一々腐っていては、性根まで歪みそうだとも思う。
「そういえば、子爵」
「はい、なんでしょうか?」
 カトレアとの談笑を切り上げた伯爵は、ちらりと周囲に目を向け、苦笑気味に声を潜めた。
「貴殿、例の『眼鏡』の予備は持たないか?
 ……娘が欲しがっていてな、何とかならぬかな?」
「ああ、あれですか……」
 まだ流行は冷めやらぬようで、若い女性が眼鏡を掛けている姿も会場のあちらこちらで見られる。
 園遊会の場ではラ・ヴァリエール家の秘宝だという噂が主流ではあったが、長女だけでなく三女に加えて姫殿下までもが同じ品を身につけていたので、秘宝は複数あったのだなどと尾鰭がついていた。
 伯爵はお忍び騒動にも直接関わっていたから、アンリエッタかマリアンヌから事の真相を聞いていたのだろう。口を堅くせざるを得なかったのか、リシャールが制作者として世間に知られることはなかったのは幸いだった。
「『眼鏡』?
 園遊会でリ……あなたがお作りになったという、あの『眼鏡』?」
「うん、そうだよ。
 伯爵様、流石に予備は持ちませんが、同じ品でしたら新しく作ることは出来ます」
「おお、引き受けて貰えるか。
 すまないな」
 リシャールは眼鏡には魔法を込めていない事を改めて告げた上で、口外しない約束を取り付けた。他にも、令嬢が普段眼鏡を掛けていないことなどを確認しておく。
 余談だが、後日の訪問を約束して伯爵と別れた後、カトレアにも眼鏡をねだられたリシャールは、もちろん二つ返事で引き受けた。

 馬車の中、今日は帰り際が一番大変だったかも知れないと、リシャールは王城での一日を振り返っていた。
「それにしても、用意して貰った控え室が満杯になるとは思わなかったよ」
「最初から大きいお部屋をお借り出来ていて、よかったわ。
 お客様が多くて、マリーはびっくりしていたかもしれないけれど」
「……今のうちに慣れておくのもいいかもね」
 時間が重なったのか、カトレアと連れだってマリーの待つ控え室へと戻れば、王家の二人に両親に親族と、中は見知った顔で埋まっていた。ギーヴァルシュ侯やアルトワ伯らの姿もあったから、気遣い半分に自慢半分で祖父が誘ってくれたようだ。
 王家の二人は無論のこと、両親にようやくマリーの顔を見せる事が出来たので、リシャールはほっとしていた。もっとも、場の雰囲気こそ和やかであれ、控え室に現れたアンリエッタらに両親は随分緊張していたが、こればかりはリシャールにも手の施しようがなかった。
「リシャール、わたしは明日も王宮に行くけれど、あなたはどうする?
 ルイズと一緒にお呼ばれしているのだけれど……」
「僕はモンモランシ伯に頼まれた眼鏡の用意をするから、ちょっと出かけられないかな」
 眼鏡の件は、出来れば王都に居るうちに済ませてしまいたいのだ。一旦領地に帰れば二度手間になってしまうし、気軽に出られるものでもない。
 まあでも、去年に比べれば十分に余裕のある年始かなと、窓の外を見る。
「やっぱり、セルフィーユに比べると賑やかだね」
「ええ。
 でも、感謝祭の時のセルフィーユの方が、活気があったように思えるわよ?」
「地方だと降誕祭は静かに祝うことの方が多いからかな」
「そうね。
 ラ・ヴァリエールもそうだったかしら」
「あうー」
「マリー?」
 両手を伸ばしてじたばたと動くマリーに会話を遮られる形になったが、つい顔がほころぶ。
 窓の方に手を伸ばしているところをみると、お乳やおしめではなく、窓の外が気になるらしい。
「マリー、お外が見たいのかい?」
「はいマリー、これでいいかしら?」
 カトレアが抱え起こすと、マリーは言葉になりきっていない声ではしゃぎ、楽しげな様子で窓の向こうを見ている。
 産まれて三ヶ月弱、まだまだ自分で動くことの無理なマリーだが、はいはいや伝わり歩きが出来るようになれば、さぞや自分達をきりきり舞いさせて困らせるに違いない。
 実に、楽しみであった。

 翌日、王宮に出かけるカトレアとマリーを見送ったリシャールは、自室と定めた別邸の執務室兼用の仕事部屋で、眼鏡の部品を作っていた。
 久しぶりの作業で細部を忘れかけていたものの、それでも昼前には二つ分の部品の用意を終えられそうだ。
 明後日にはこちらを立つ予定だが、借財の返済は済ませたし、祝賀会と親類縁者へのマリーの紹介という大きな用事は終わっている。今日なども、メガネの準備を終えれば後は夕刻になってからラ・ヴァリエール公の別邸を訪ね、年始を祝うごく内輪の集まりに出かけるぐらいであった。
 だが、なにがしかの用は自然と発生するものだ。
「旦那様、あの、セルフィーユ領空海軍の伝令と名乗られる方が訪ねて参られましたのですが……」
「あー、こちらに通して下さい」
 用を伝えに来たメイドの顔には、そんなものがあったかしらという複雑な表情が浮かんでいた。
 筆頭家臣のマルグリットや領軍司令官のレジスらには話してあるが、まだ領内にはフネに関しての正式な発表されていない。目の前の彼女の反応も当然でもあった。空港の整備はともかく、発表などは年が明けてフネが到着してからで良いとしていたし、正式な発足などは実働にこぎ着けてから改めてラ・ラメーに相談すればいいかと考えていたのである。
 しばらくして、メイドに先導されて入ってきたのは、少々くたびれた軍服に白髪の目立つ老士官だった。だが、姿勢も良ければ敬礼にも切れがあり、年齢を感じさせない様子である。
 リシャールも立ち上がって答礼を返した。
「閣下、お初にお目にかかります。
 自分は『ドラゴン・デュ・テーレ』号副長、ナタン・ド・ビュシエールであります。
 ご挨拶も兼ねてこちらへと参上いたしました」
「リシャール・ド・セルフィーユです、今後ともよろしくお願いします。
 伝令、とのことでしたが……『ドラゴン・デュ・テーレ』号は、もしかして王都に?」
 まだ引き渡しから数日のはずだが、目の前の彼がここ王都別邸に伝令として派遣されてくるということは、きっとそうなのだろうと思える。
 ラ・ラメー艦長がどんなからくりを使ったのかまでは分からないが、回航にひと月ほどはかかると見ていたリシャールとしては驚きであった。
 それに彼も貴族のようだが、他にも元貴族士官は多いのかもしれない。だがまあ、これは後でもいいだろう。
「はい閣下、『ドラゴン・デュ・テーレ』号と『カドー・ジェネルー』号は、現在王都にあります。
 降誕祭の時期ならば閣下は王都に居られるであろうと、派遣されました。
 現在、両艦共に全力での戦闘行動は不可能ですが、空賊程度ならばあしらうことはもちろん、閣下のご予定に合わせて航路を定めることも可能であります。
 勿論、新たなご命令がなければ、このままセルフィーユへとフネを回航します」
 そこまでは要求していなかったのだけれどなあと、リシャールは苦笑した。正直を言えば、軍艦として使うことは余り考えていなかったのだ。その為に砲の大半を降ろしてさえいる。
「明後日、私は領地に帰る予定ですが……便乗はどの程度可能ですか?」
「個室であれば、二隻合わせて七、八名までになります。
 兵士や従者ならば、詰め込めば五十名位までなら問題ありません。
 無論、閣下の騎竜も合わせての数字であります」
「多少の寄り道はしても?」
「はい、国内ならば大丈夫であります」
 リシャールは少し考えてから、ビュシエールに返事をした。
「ビュシエール副長、私は明後日の夕刻にこちらを出発の予定ですが、アルトワに寄り道してもらうことになるかもしれないと、ラ・ラメー艦長には伝えておいて下さい」
「了解いたしました」
 予定は聞いてみないと分からないが、クロードなどはフネに乗せれば喜んでくれるだろうかと、考えてみたのだ。
 今回の王都行きに限らず、旅行には常に一日二日の余裕は見込んである。ついでに、カトレアに実家を見せることが出来ればいいなとの思いもあった。
 ビュシエールの退出を見送ったリシャールは、ヴァレリー達に帰りの準備を進めて貰っておこうと、部品の製作を再開しながら予定を組みはじめた。

 幸いにしてと言うべきか、そうそう突発事態が起きるはずもなく、リシャールは王都での日程全てを無事に終えた。
 モンモランシ伯を訪ねる時にはクロードも同行していたが、もちろん予定の変更と言うほどではない。令嬢は清楚な美人でクロードと同い年であったが、良い顔合わせになっただろうと思う。入学の年限が決まっていないので同級生になると断言は出来ないが、来年か再来年の今頃は、二人とも魔法学院に通っている筈だ。
「リシャール、このフネは随分と街道から外れている気がするんだけど……」
「僕にもよく分からないけれど、風の都合じゃないのかな?
 大回りでも、効率がいいのかも知れない」
「ああ、なるほど!
 そういうことか」
 予定通りに出航した『ドラゴン・デュ・テーレ』号は、カトレアとマリーに加えてクロードとその妹姫たち、長兄リュシアンらを乗せ、アルトワへと向かっているところだ。伯爵や両親らは予定があるとのことで一足先に竜篭で戻っていたから、子供達だけの小旅行となっている。
 出航前まではマリーを抱いたカトレアやクロードの妹たちも甲板に出ていたが、今はもう船室で談笑していた。航行中のフネの甲板は、赤子に害を為すほど風が強いのだ。それでもマリーが上機嫌であったことは、リシャールを大いに喜ばせていた。
 船客の中ではリシャールとクロードだけが、後檣楼の影になったところで座っている。眺めがよいので、早々に船室へと入るのが勿体ない気がしたのだ。
「やっぱり大きいね、リシャール」
「うん、見学ならもっと大きいフネも乗せて貰ったけど、このフネも十分大きいと、僕も思うよ」
 リシャールの期待通り、クロードはこの話に飛びついた。
 もっとも、フネよりかなり足の遅い馬車でも二日ほどの距離であるアルトワと王都のこと、空荷のフリゲートならば翌日の朝には到着してしまうから、フネに乗った、というだけのことでしかない。
「もう一隻は、セルフィーユに向かったの?」
「そうだよ。
 荷物はこっちにも分けて積んだけど、馬と馬車は全部『カドー・ジェネルー』に乗せたからね。
 馬は長い時間フネに乗せていると、機嫌や体調が悪くなるって聞いたから、少し気を使ったんだ」
「そうなんだ」
「あっちの方が小さいけど、足は速いからね」
 『カドー・ジェネルー』号は既にセルフィーユへと向かっていたが、こちらも問題ない。小型フリゲートとは言え、ほぼ空荷の上に砲も大半を降ろしているから、馬車の数台でフネが傾くようなことはない。重さよりも容積や甲板の面積の方が先に問題になるぐらいだ。
 代わりに『ドラゴン・デュ・テーレ』にはアーシャが乗っているが、多少風石の消費が大きくなるぐらいで、こちらも航行に大きな支障が出ることはないと確認してある。
「クロード、僕らも船室に戻ろうか」
「うん、景色はすごくいいけど、やっぱりちょっとどころでなく寒いや」
 船員達は水兵服の上から厚手の防寒具を身につけているが、こちらは軽い冬着のままだ。冬場に長期の航海へと臨むなら、リシャールも特別な外套か何かを用意しておいた方がいいかも知れない。
「何か温かいものでも頼もう。
 身体が芯まで冷えてる気がするよ」
「ほんの少し甲板に出ていただけなのになあ」
 顔を見合わせた二人は、ラ・ラメー艦長とアーシャに声を掛けてから船室へと戻った。
 ここは明らかに、見栄の張りどころではないのだ。

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