ゼロの使い魔 ハルケギニア南船北竜
第八十三話「六二三九年の締めくくり」




「では閣下、フネのことは『二隻とも』お任せ下さい」
「ええ、よろしくお願いします」
 小官と同じ様な老人でよければ心当たりがあると申し出たラ・ラメーに、リシャールは『ドラゴン・デュ・テーレ』だけでなく、『カドー・ジェネルー』の船長の手配をも一任することにした。
 無論、決して毒食らわば皿までなどと、自暴自棄になっているわけではない。彼の影響力の大きさを目の当たりにして、決断を下したのだ。
 つい先ほど行った二隻のフネの見学の帰り際、リシャールはラ・ラメーの人望を実感した。どこから聞きつけたのか、上は艦隊司令長官から下は古参の一等水兵までが入れ替わり立ち替わりラ・ラメー艦長に声を掛け、あるいは見事な敬礼を送りと、下にも置かぬ扱いで、連れだって歩くリシャールの腰が引けていたほどである。ラ・ラメー長官が艦長の甥であることもわかったが、くれぐれも頼むと耳打ちされては頷くしかなかった。
 ラ・ラメー艦長には、艦長職は解かない、いや、人事権を一任するのでラ・ラメー自身の配置も含めて好きにして良いと約束した上で、セルフィーユ領空海軍の司令官を兼任して貰うことに決めた。間接的な裏打ちも得られている。これだけの尊敬を集めているのだから、空海軍を任せて悪い人材ではないだろう。……そうでも思わないと、やっていられないという気分も少しばかり含まれてはいたが、そこには目をつむることにした。
「年明けまでには空港も最低限の設備が完成している予定ですが、空海軍からの引継や慣熟訓練に時間も必要でしょうから、セルフィーユへの回航はゆっくりでも構いませんよ、艦長。
 春までには一度アルビオンへと向かって貰うことになりますが、まだ準備が出来ていないので、こちらもあまり気にしなくとも構いません」
「ふむ、お言葉に甘えさせていただくことにしますぞ」
 用意してきた支度金に加えて運航準備の為の資金をラ・ラメーに託し、リシャールはラ・ロシェールを後にした。

 セルフィーユに帰る前に、リシャールは王都へと立ち寄った。可能ならば、マザリーニと会談を持ちたかったのである。
 他国の顔色を気にせねばならない立場にまでなったと、鼻を高くするわけにはいかなかった。利益よりも厄介事の方が多くなっているような気がして、まことに落ち着かない。
 アルビオンとは比較的良好な関係だと思われるもこちらが強く出られる筈もなく、ゲルマニアとは対等ではあっても街道の完成までは気を抜けない。ロマリアに至ってはリシャール自身もその距離感をつかみかねているので、要警戒としか言い様がなかった。
 ……ガリアとは今のところ縁遠いが、その内そうも言っていられなくなるような気がするのは、気のせいだろうか。
「これを王宮のマザリーニ猊下の元に届けて下さい」
「はい、かしこまりました」
 マザリーニは相変わらず忙しいだろうと考えられるので、別邸にて手紙をしたため小者に託す。これで運が良ければ今日中に、悪くとも明日には目通りが叶うはずだ。
 マザリーニを軽んじているわけではないが、予め組まれた予定だったならば王后マリアンヌとアンリエッタ姫にも挨拶をしたいところであった。だが、流石に王家の二人は、王都に来たならばと気軽に赴くことが出来る相手ではない。
 二人からは年始の園遊会の招待状を送られており、内々ながら、年始にはマリーに会えることを楽しみにしていると手紙が添えられていた。マリーもそろそろ首も座って目もしっかりと開いている。ご希望通りに連れて行けそうだ。
 少し時間が出来たと見たリシャールは、出かけるか迷ったものの、屋敷に留まることにした。『魅惑の妖精』亭あたりならば行き先を告げておけば問題ないかもしれないが、マリーのことを祝われるのが嬉しいながらも恥ずかしいのだ。
 領内はまあ仕方がないが、それでも、視察だ仕事だとあちらこちらをまわる都度祝辞や乾杯が繰り返されたことに、嬉しさを感じつつも少しばかりげんなりとしていたのである。
 それでも王都にいるうちに出来ることもあるかと、商館への命令書などを書きながら、使者に出した小者が戻ってくるのを待った。

 夕刻遅くになって王政府からの使者が到着し、リシャールは即座にマザリーニの元へと向かった。公務の終了後に時間を割いて貰えたようである。
「お久しぶりですな、子爵」
「はい猊下、ご無沙汰をしております」
 挨拶ついでに軽く近況などを交わすが、マザリーニのロマリア行きについては互いに話題から外している。
 このあたり、似ていないようで似ている二人であった。その日の本題ながらも急を要するの懸案ではないと、確認し合っているようなものだ。
 もっとも、雑談に近い内容の中にも、それぞれが思うところを述べたり知らせておくべき事を盛り込んでいるから、全くの無為な会話というわけではない。リシャールは中央の情報を、マザリーニはトリステイン北東部の情報を、それぞれに欲して交換しているのだ。
「ほう、ご息女が無事にお生まれになったか」
「はい、健やかに育っております」
「さぞや大事にされておられるのでしょうな。
 ラ・ヴァリエール公らも大層お喜びになられたのでは?」
「はい、あれやこれやと。義父は大変に上機嫌でありました」
 マリーの話題でさえ、今は幸い茶飲み話で済んでいるが、マザリーニが耳に入れておくべき情報の一つとなる。リシャールや彼女が、国内最大級の諸侯であるラ・ヴァリエール家を相続する可能性も、無いわけではないのだ。義姉にはなるべく早く結婚して貰い、子を授かって欲しいと願う気持ちは、公爵夫妻以上にリシャールの方が強いかもしれない。
 セルフィーユと同時にあの広い領地を経営するのは、どう考えても無理だった。それに、一から自分に都合良く切り盛りして作られたセルフィーユ家と、長い歴史と伝統を受け継ぐラ・ヴァリエールを動かすのとでは、根本から異なる対応を要求されるだろう。
 ふむ、とマザリーニは頷いて居住まいを正した。いよいよここからが本題かと、リシャールもそれに合わせて深呼吸をする。
「そういえば、先日は留守中で失礼を致しましたな」
「いえ、猊下が日々お忙しいことはもちろん存じ上げております。
 ……あちらはいかがでしたか?」
「何分ロマリアへと戻るのも数年振り、随分と様変わりをしておりましたな。
 前教皇聖下の葬儀への参列という大事はありましたが、新たな教皇聖下ともお話をさせて戴く機会を頂戴致しました」
「ほう。
 ……新しい聖下は、どのようなお方でしたか?」
「聖エイジス三十二世聖下は、お若いながらも、非常に優れた見識と強い信仰心をお持ちであらせられるご様子でしたな。
 経験を積み、周囲を掌握なさるにはまだ時間もかかりましょうが、ロマリアの未来は以前よりも明るくなったと見えます。
 今後は各地の教会、修道院などとの連携を強化し、始祖ブリミルの正しい教えをハルケギニアにあまねく知らしめたいと仰られていました」

 マザリーニの淀みない説明を聞きながらも、リシャールには新教皇の今後の対応が今ひとつ心配でならなかった。概ねリシャールと似たような、人気取りによる基盤固めを優先しているような印象を受けるが、面と向かって『新教徒たちへの対応はどうなさるのですか?』などとは、マザリーニでも聞くわけにはいかない。
 紛糾した教皇選出会議の結果、得をしたのは聖エイジス三十二世を擁立した小さな一派と、マザリーニなどの中立派、そして実際の恩恵を受けるようになった下層のブリミル教徒たちだろう。主流各派は調整に失敗し、小さな会派ならばと侮ったおかげか、新教皇の取り込みには失敗している。おかげで内部勢力図は前教皇派が主流各派の工作により失速したものの、代わりに現教皇派が勢力を伸ばしただけで、各派間の大きな力関係の変化は見られなかったという。
 それでも貧民の救済や孤児の保護など、以前よりは民衆を重視した政策が行われるようになったことにより、聖エイジス三十二世のロマリア国内での評判は良いらしい。
 指導者にとって若さは侮られる要素にもなるが、宗教庁上層部や高位聖職者も、表だっては慈悲深い聖下を教皇座に戴いていることを始祖に感謝する、としか口には出来なかった。現在のところ、これまでに築いた現世の権威や利権が脅かされるというほどではないから、教皇に人望が集まることをなんとなく不快には思っていても、排除するような決め手には欠けているし、その際にも各派の思惑や権力闘争が入り乱れ、意見がまとまることはなかった。
 但し、諸外国にしてみれば、今までとそれほど代わり映えのない教皇の代替わりである。ロマリアは領土欲はあれども、宗教国家を掲げる以上、他国へと攻め込む理由は諸外国以上に気を使わねばならなかった。聖戦など、そうそう起こせるものではない。
 代わりに国内が少しばかり不安定でも、ブリミル教という錦の御旗が強力な防護壁となるから攻め込まれる心配はなかった。同じ理由で、始祖とブリミル教に真っ向から喧嘩を売るような国はない。
 それ故にロマリアは、諸国が不安定なこの時期に指導者が代替わりしようと権力闘争に明け暮れようと、周囲を気にせずに国内問題に時間が割けるのである。
 
「今は地盤固めの時期、何れにせよ、しばらくはクレメンテ司教も一息つけるでしょうな」
「それをお聞きして安心しました。
 クレメンテ殿にも伝えておきます」
 新教徒への弾圧は、一時的ながら緩和されるらしいと暗に告げたマザリーニに、リシャールも胸をなで下ろす。万が一の場合には知らぬ存ぜぬを通すつもりではあっても、やはり後味の悪い結果はよろしくない。
 それに、わずか半年余りのことではあっても、彼らの力は今のセルフィーユには外せないものとなっていた。最初に頼られたのは自分で、だまし討ちに近い状態で無理を押しつけられたにしても、今では十分に持ちつ持たれつな関係を築いていると言ってもいい。
 そこまでを考えたところで、文官が入室してきたことでリシャールは思考を中断させられた。人払いに近い状態である宰相の執務室へと入ってきたからには、緊急の用なのだろう。
「ご歓談中のところ失礼します。
 セルフィーユ子爵閣下、お話が済んでおられるようならば奥の間にと、姫殿下が仰せです」
 登城もマザリーニとの面会も隠しているわけではなかったら、どのようにしてかアンリエッタの耳に届いたのだろう。向こうから声を掛けて貰えたのであれば、急な訪問も失礼には当たらない。
 マザリーニが頷いたのを確認してから、リシャールは席を立った。粗方の話は終わっていたから、頃合いとしても丁度良い。
「では猊下、本日はありがとうございました」
「セルフィーユ子爵もご無理をなさらず。
 働きづめはよくありませんぞ?」
「……そのお言葉を猊下の口から頂戴したことを、我が身の名誉と致します」
 リシャールはこの人も冗談を口にするのだなと、いささか不思議な気分を味わいつつ、マザリーニの執務室を後にした。
 宰相の執務室の明かりが夜遅くまで消えることがないという噂ぐらいは、リシャールの耳にも届いているのである。

 姫殿下との話はマリーの話題で終始し、無事に手紙の礼を述べて報告も済ませることが出来た。
「園遊会の時には会えるのよね?」
「はい、会場を連れてまわるには小さいので、控えの間を一つお借りすることになるかと思います」
「うふ、楽しみだわ」
 かなり遅い時刻になってから城を辞したが、その際にリシャールは祝いの品を下賜されている。
 見目美しい、小さな宝石箱だ。ご丁寧にも、贈り主であるトリステイン王家の紋章と共に、セルフィーユ家の紋章とマリーの名が彫り込まれている。アンリエッタが王家御用達の職人に命じて作らせた物と聞いて恐縮したものの、ありがたく頂戴してきた。
 これで今回の旅程での用は済んだが、年末までは領地の方が忙しくなるはずだ。
 分単位で次々と対応に追われる年末商戦に忙しかった前世と、果たしてどちらがましだろうかと、答えの出ない問題をつらつらと考えながらリシャールは眠りについた。
 
 さて、領地に帰ってから年末までの二週間は、流石にリシャールも鍛冶仕事を休み、庁舎で徴税と貢納金の準備に追われていた。
 今はマルグリットを相手に、ラ・クラルテ商会の納税の準備と年末年始の予定を確認している最中だ。創業者である領主と現会頭である筆頭家臣が、庁舎内でそれを行うのは皮肉なものだなどと思ったりもするが、わざわざ別の建物に移動してするような二度手間はしたくないしあまり意味もない。
「ではリシャール様、商会は昨年と同じように、少し長く休暇を配するということでよろしいですか?」
「ええ、庁舎も休暇に入ります。
 そちらだけ動かして問題が起きたときの対処が遅れたりするのも困りものですから。
 領軍と家の方だけは、交代で誰かに出て貰わないと困りますが、後は構わないでしょう」
 人口が急激に伸びたことや、ラ・クラルテ商会の売り上げもあり、今年予想される税収は去年の数倍という大きな額に膨れ上がっていた。その手間も同時に大きな負担となるが、昨年に引き続き、徴税官を派遣するような方法は採用しないことにしていた。
 セルフィーユでは、農民や職人などの一般の領民は年末に三割の領税を納付する。商人は月々二割の商税と、年末に二割の領税を負担することになっていた。ギーヴァルシュ侯爵領やアルトワ伯爵領と同率の税負担であるが、トリステイン北東部の諸領としてはやや低い水準である。
 何かと理由を付けて税を逃れようとするのは民の常でもあるが、各村の支庁には常駐の担当者もおいて村人の顔も覚えさせているし、ラマディエでは新しく移住してた働き手の殆どが庁舎かラ・クラルテ商会で働いていたから、そちらで領民の選別が可能であった。リシャールは今のところ、他領に籍を置く一時逗留の出稼ぎ労働者から徴税するような布告は出していない。今は何かと理由を付けて税を徴収することよりも、優遇してでも労働力を確保する方が重要であった。
「大きな商税が得られるのはいいことですが、同時に払うのも自分では少々複雑な気分ですね……」
「こればかりは仕方ありませんわね。
 でも、今年は製鉄所に武器工場と、大きな工場が二つも出来ましたから、来年以降はリシャール様も少しはお楽になるはずです」
 ラ・クラルテ商会は、金銭の出入りについてはセルフィーユ家とは切り離して運営がなされているから、当然税金も支払う。私的な雑収入と出来ないことで少々高くつくが、万が一転封された場合の保険でもあるのだ。会社で言う転勤とは意味合いは異なるが、領地替えはないわけではない。
 転封は不名誉による場合だけでなく、功績を評価されて行われる事もあったし、純粋に国家戦略に基づいた配置換えも可能性として考えておかねばならない。
「しかし、今年は随分と無理を重ねましたね……。
 結果がこうしてついてきていなければ、心を折られているところでしたよ」
 今年の総売上高の予測は、年末になったこともあってほぼ固まっていた。
 海産物などの食品部門が一万二千エキュー、武器工場が三万五千エキュー、民生用の鉄製品を扱うディディエの工房が八千エキュー。
 そして稼ぎ頭の製鉄所が、王政府へと直接卸した刃鋼の六万五千エキューを含めて十四万八千エキュー。領地の規模から言えば、破格の数字である。製鉄に限れば、確実な買い手を得て卸売りに徹していることが大きい。
 これらを合計すれば二十万三千エキューとなり、ここから合計四割の商税領税を求めると、ラ・クラルテ商会の納税額は八万一千二百エキューとなる。商税は月ごとに支払われているから、年末には領税四万エキューと少しがセルフィーユ家に移される計算だ。
 但し、これをそのまま諸手を挙げて喜ぶことが出来ないのが、今のセルフィーユ家であった。
 月々得られた二割の商税は、ほぼそのまま家臣の給与や子爵家の維持に使われて既に消えていた。年末に得られる領税は、王政府への貢納金を支払ってしまえば残りはそう多くないし、今年は前倒しで空港の整備費用やマスケット銃の製造費などに充てられている。ちなみにラ・クラルテ商会の利益の殆どは街道工事に吸い取られているから、扱う金額の桁こそ増えていたものの、リシャールの懐事情は苦しいままであった。
「そう言えば、商会以外の税はどうなりそうですか?
 そろそろまとまりそうですか?」
「こちらで把握している予想では、ラ・クラルテ商会を除いておよそ二万三千エキュー余りですわ。
 ああ、これには商税が含まれております」
「……相当増えていますね」
「はい。
 ですが、昨年とは大きく事情が異なりますし、人口の伸びがあり得ない数字になっていましたから、当然の結果とも言えます」
 クレメンテとの密約によって、住居の建て増しに領主自らが奔走せねばならないほどの勢いで人が増えたから、その当時は本気で逃げ出したいほど忙しかったが、こうして結果が帰ってくるのだから無駄ではなかった。
「すると今年の税収は、ラ・クラルテ商会も含めて約六万四千エキュー、貢納金はその内の二割で、えーっと……一万二千八百?」
「……そのあたりになりますわね」
 リシャールとマルグリットは、ため息混じりに顔を見合わせた。
 この金額は、昨年度の総税収とほぼ同額なのだ。
 期せずしてリシャールは、いつかマザリーニに約束した税収の倍増をも達成したことになりそうであった。実際には昨年の五倍に達している。
 やはり、工業分野は初期投資こそ大きいものの、上手く回せば回収できる金額も半端ではないなと、リシャールは内心で頷いた。
 特に製鉄に関しては、セルジュのコフル商会へと専売で卸しているから、危ない橋を渡るどころか、営業の必要さえもなく安定した収入が約束されている。正に鉄板であった。今は市場の後押しもあり、作れば作るだけそのまま売れて行くという、高度経済成長にも似た好循環の波に乗っている。
 もちろん製鉄業は、ラ・クラルテ商会だけが伸長しているわけではない。働き手が一千人を越えるような大製鉄所さえ珍しくないゲルマニアから見れば、ラ・クラルテ商会は今のところどこにでもあるような一製鉄所であり、脅威に思われるどころか注目もされていないとリシャールは見ていた。そもそも規模が違いすぎて比較にならないし、ゲルマニアから大量に鉄を輸入しているセルジュが隠れ蓑にもなっていたから目立たないのである。
「セルジュさん任せになりすぎていて、少し心配でもありますが……今は頼らざるを得ませんね。
 いささか申し訳ない気分です」
「父も利益は出していると思いますから、リシャール様がお気になさるほどの事はないと思いますわ。
 ああ見えて、とてもしたたかですから」
 容赦ない評価だなあとマルグリットに視線を送ったリシャールは、再び書類を取り上げた。自分の評価も聞いてみたいところであるが、少々気が引けたのでやめておく。
「ともかく、どうにか今年も乗り切れた、というあたりですね」
「はい」
 リシャールは窓外の冬空を見上げ、気分を入れ替えた。
 他にもやらねばならないことが色々と多いのだ。

 そのように年末までを忙しく過ごしていたが、年の暮れは容赦なく迫ってきた。幾つか不備も見つかっているが、なんとか来年につなげることは出来そうだ。
 六二三九年の締めくくりは、呼び寄せた竜篭に乗り込んでの王都への移動である。
 懐には借財の返済に充てる小切手、隣にはカトレアとマリー。
 竜篭に乗っている随員はヴァレリーとアニエス、それに乳母役の女性だけだが、窓の外にはアーシャが護衛よろしく編隊を組んでいる。
 留守はマルグリット任せだが、庁舎も休みで彼女も半ば休暇に入っているし、ジャン・マルクは先発の侍女従者を指揮してもう王都へ到着している頃だろう。
 リシャールは、講師カトレア、助手ヴァレリーによるマリーの抱き方講座を受講するアニエスを眺めながら、来年は竜篭を借りずとも、自前のフネで移動できるかとぼんやり考えていた。
「アニエス、ほら、ここに手をあてて」
「ね、大丈夫でしょう?」
「赤ちゃんは見かけよりも重みがあるのよ」
「ええ。……あ」
 マリーに笑顔を向けられたアニエスが、戸惑っている。
「アニエスが自分を大事にしてくれる人だって、マリーもちゃんとわかっているのよ」
「リシャール様の子供時代を思い出しますわね。
 丁度私がアルトワのお城でご奉公を始めた頃、お生まれになったんですよ。
 マリー様と同じく、あまり人見知りをされない赤ちゃんでいらっしゃいましたのよ」
「まあ、そうだったの?」
「はい、おしめの取り替えなども、普通は嫌がったりするところを大変に大人しくなさっていましたわ」
「うふ、そういうところはお父様に似ているかしらね、マリー?」
 マリーも含めた女性四人の視線に気恥ずかしさを感じたリシャールは、アーシャのご機嫌を取ってくるからと言い残し、竜篭から空中へと逃げることにした。
 二度目の人生とあって自分でも粗方は覚えてはいるが、それを聞かされるとなるとまた話は別なのである。






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